行動をすることは、削られて、磨かれていくこと。

成長するためには、自分以外の要素と関わり、磨かれることが必要です。磨かれることは、削られることでもあります。

削られる、というのは、消耗してしまうイメージでとらえられがちですが、不要なところが除かれたり、粗い部分をなめらかにする作用もありますから、負荷ばかりではありません。

スピリチュアルを好む人は、内的に思考をめぐらせることが好きで、自分以外の要素と関わる、外へ向かう行動を面倒だと認識してしまうところがあります。

思考力が高ければ,行動をしてたしかめなくても、だいたいこうなるだろうと推察がついてしまいますからね。

実際に、優れた思考力があれば、思考をすることで、行動をした場合とそう変わらないくらいの気づきを得られることも、ときにはあるでしょう。

けれど、思考という内的な行いは、外へ向かう場合のような広がりにはむすびつきにくく、同じようなところをぐるぐるしやすいものです。

また、思考は、そうしたいときにスタートし、飽きれば一時中断するという、自分のペースで行うことができるけれど、

外へ向かう行動は、その対象や相手の都合もありますから、途中でやめたり、先延ばしをしたりは、簡単にいかないこともありますね。

そういう負荷の掛かり方が、自分を磨き、鍛えることに繋がります。違うものとの関わりが、学びになるということです。

自分だけで思考をしているときは、そうした場面に遭遇することはできませんからね。

磨かれることは、削られることでもあり、それだけ自分が「減ってしまう」ような不安がでてくるけれど、

研磨されたところは、光りますから、そちらにメリットを見いだしていけばいいと思います。

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