人がこの世に生まれてくるときには、さまざまな「気質や性質などの特徴」を備え、そして、今回の人生で経験する「学びの要素」となることを、ある程度は決めた上で生まれてくるようです。
しかし、何もかもを、細かく決めて生まれてくることはなく、
こういう方向の、こういう内容を経験する、というくらいでしょうね。
ほとんどのケースで、そうした「大枠」なことを決めている程度で、それ以上の細かい点までは、あえて決めない状態でこの世へやってきます。
決まっていない部分は、自分がこの人生の経験を通して、自由につくりあげていくことができます。
または、自分が決めて進まなければならない、そのことが学びになっているケースもあります。
スピリチュアルに関心がある方は、「自分のこの生き方は、生まれてくる時点での目的とあっているのかな?」と、気になることがあるかもしれませんが
迷いがでるとか、不安になるということは、「ゆれ動く幅がある」ということですよね。それはつまり「前もって決まっていない」ことのあらわれでもあるのです。
これもいい、あれもいいと、こちらはどうだろうと、いろいろと考えることができる「自由な余白の部分」を、学びに含めて、そういう設定で、今回の人生を想定してきたのでしょう。
つまり、「今回の人生では、この件をやろう」という設定をしてきたのではなく、「今回の人生では、その時々で、幅広い中から選べる自由があること」を設定してきていると思われるので、
迷うという経験からも、わかること、身につくこと、いろいろありますから、
その経験をもいかしながら、行動していくことが大事です。
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