頑張り方が身につくという、幸せ。

自分ばかりが大変な思いをしていて、他の人よりも苦労して頑張っているのに、努力が結果に繋がらなかったり、評価を得られなかったりするケースはよくあります。

一方、大変な思いもせずに、それほど苦労もしていなのに、実際以上の大きな評価を簡単に手にする人もいます。

そういうケースが重なれば、「この世の中はずいぶんと不公平で、努力が報われないとはどうなっているのか」とがっかりしてしまいますね。

ですが、頑張りが報われないのは「一時期だけのこと」です。

短い期間のみでとらえれば、そういうケースもあるとしても、

年単位のロングスパンで考えていけば、自分が頑張って努力をしたことは、何らかの結果や評価となって、自分の実りになったり、力になったりするものです

年齢を重ねていくほど、このことの意味が実感としてわかっていくものではないでしょうか。

努力をすることを、3年、5年、10年と続けていけば、それらが無駄だとか、報われないだとかの認識をもつことはなくなり、

仮に、たまに理不尽な目にあうとしても、それはその時点だけのことで、「長く続けていくことの優位性」があるとわかるので、不公平感は薄れます。

長く頑張っていけば、わかることも増えますし、力もそれなりについていくでしょうし、立場が上がって扱われ方も変わります。

3年、5年と時間がたてば、理不尽な扱いをしてくる上司がいても、お互いに異動もあるでしょうし、手が掛かる部下も育ってくるでしょうし、いろんなことが変化していきますよね。

そして、頑張り方が身につくという、何より大きな実りが手に入ります。

頑張る経験をしないまま、なんとなく評価され、引き立てられ、結果を手にしてしまえば「頑張り方が身につかないまま」となり、それもまた大変です。

ならば、頑張るという機会を、得ていることも幸せです

一時的にみれば、思ったとおりではないことも、不公平感もあるとしても、期間が長くなるほどに、その行いの積み重ねの大きな価値がわかるようになります。

コメント

  1. 痛み より:

    頑張らなくても良い環境の人は、頑張らないといけない環境の人に対して「かわいそうだね」と言います。

    だから頑張らないといけない事にマイナスのイメージがありましたが、年齢と共に「頑張って来て良かった」と思える、強さや実績が実感できる様になりました。

    その時は本当に苦しかったけど、他に選択肢が無かった分、前に進むしかありませんでした。
    思い出すとまだ心が痛いので、追い込まれる状況があって良かった!と手放しに喜べる心境までには到達出来ていませんが、でも良かったとは思います。

    • リカコ リカコ より:

      痛み様

      この記事の内容は、「自分の頑張りが報われない(と思ってしまっている)人」に向けた内容です。
      全員が、この内容にならって頑張りをすべき、ということではないので、

      頑張らなくてもよい環境にいる人は「その人は、そういう学びをしている人(頑張り以外に、大変な経験をする場合もある)」という、
      違いがありますから、

      自分に身についたもの、自分が得たものを大事にしていけばいいのだと思います。