何回も同じことを繰り返していて、あるとき「わかる」という瞬間が唐突にやってくることがあります。
こうすればうまくいくんだというコツだったり、その行動はこんな意味があるんだなという気づきだったり。
いろんなことが、何回か繰り返したのちに、「わかる」という経験は、多くの方がお持ちのことでしょう。
先日セッションを受けてくださった方が、「何回も同じことを説明してもらって、あるときストンと落ちるようにわかったのが、不思議だった」という表現をしてくださいました。
この「ストン」までのプロセスは、理解に到達するための「基礎の積み上げ」なのでしょうね。ある高さに到達したときに、「わかった」という感覚になれるという。
いろんな経験をしているとか、知識をたくさん持っているとか、その人の中で「積み上がったもの」が多い人ほど、「ストン」までのプロセスが短くてすみます。つまり、わかるのが「早い」ということです。
既に積み上がっているブロックがたくさんある状態で、ある事柄のブロックが一個、上に置かれたときに、「ああ、その件は、こういうことね」と、わかる到達点に達していくのでしょうね。
知識や経験をたくさん持っている人は、それらを通して、ものごとの平均がわかったり、上限の見当がつけやすいとか、規則性を見いだしたり、コツをつかんだりできますので、全般の理解力を底上げします。
このことから言えるのは、無駄な経験はないということです。
経験のすべてが基礎となって役立ち、その先にある(まったく関連しない事柄をも)理解を助けることになります。
また、同じ話を繰り返して説明をすることも、その人の理解のブロックが積み上がるまでに、必要なことだとわかります。
そういえば、子どもの頃は、何回も同じアニメをみても、同じ漫画を読んでも、常に新鮮な気持ちで楽しめたのは、理解が浅いから、何回みても、「ストン」がこなかったからでしょうね(^_^;)。
大人になると、一度みればだいたい「ストン」に到達してしまうのは、得なような、損なような……笑。
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