人は何度も生まれ変わって、たましいの学びを続けています。そうした経験の積み重ねの中で「前世でも関わったたましいと、また今世でも関わることになる」ケースはしばしばみられます。
たとえば、前世で「フランスで知人だったピエール」と、今世では「日本で山田さんという同僚」として関わる機会が再びつくられるというように。
細かいものまで含めるならば、今世の人間関係のほとんどは前世のどこかで会っている関係ですが、その中でも特に「お互いの存在を認識していて人間関係が作られていた」間柄であれば、
過去の経験値として積み上げたものがありますから、初対面から知っている感覚がでてきたり、関わりがつくられやすくなったりします。
そういうときに、スピリチュアルな知識がある人なら「この人とは前世でも会っていたかもしれないなあ」などという感覚がでてくるでしょうね。
わかり合える関係と、わかり合えない関係と。
そうした感覚がでてくるケースは大きくわけると2つで、ひとつは「短期間で親しくなったりわかり合えたりする」という通じ合う度合いが深い場合、
もうひとつは「何をどうやってもわかり合うことができない(ので、前世に根深い理由があるのではないかという解釈)」のに関わりができてしまう場合です。
前者については過去記事でも書いていますので、今回は後者の「わかりあえない対立してしまう関係」について書いてみます。
お互いに、前世の続きをする人間関係もある。
大昔のフランスでも「ピエールと自分とは対立して怒りをもつような関係」で、時代を超えて今世の日本で再び出会い、今度は「同僚の山田さんと自分が対立してしまう」というように、
前世の続きを、今世でも経験していくことはあります。
お互いに「たましいの課題」を解決するように、今世でも再び関わりをもつような「設定」をして生まれてきているということでしょうね。
ですが「前世に起因しているとしか思えない、今世だけの理由ではここまでこじれないだろうと思うような関係」でも、
実は、お互いの前世にそれほどの関わりはみられないこともあります。
自分が、前世の続きの学びをしている。
つまり「ピエール」と「山田さん」は、まったく別のたましいで「山田さんの前世はピエールではない」というケースがあるのです。
前世ではピエールと対立、今世では山田さんと対立していても、彼らは別のたましいであり、自分が(相手を変えて)同じことをくり返しているケースは珍しくはないです。
自分が「自分のたましいの課題」を解決するように、前世でも今世でも「似た要素をもつ相手と関わって学ぶ設定」になっているということですね。
まあ、山田さんの側からみても同じかもしれません。彼もまた前世で別の相手と対立した経験をもち、今世で自分を相手にして、彼自身の学びの続きをしていたりとか。
こじれにこじれた人間関係で、どう考えても今世の出来事だけでは説明がつかない場合でも、共通したシチュエーションの前世をもちこしているとは限らず、
それぞれ別ルートできていても、似たような課題を持っているために「波長の法則」によって関わりの機会がつくられて学ぶというケースもあるのです。
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