スピリチュアル的に解釈すれば、この世で経験するすべては、「たましいを成長させるための学び」です。人との出会いにも「そこに学ぶものがある」ということです。
この世には「波長の法則」とよばれる、同じ要素をもつもの同士が引き合うしくみがあり、人間関係にも作用します。まったく同じものが引き合うしくみではなく、ほんの少しでも同じところがあれば引き合うしくみなので、
気が合わない人やら、考え方が違う人やらが周囲にたくさん集まってきて(それでも何かしらの同じ要素をもっている人同士であるので)、困ったり迷ったりしながらも、そこから気づかされることがでてくる環境が作られます。
人間関係を語るときに、スピリチュアルなしくみを意識するとしたら、前述のような、同じとはとても思えない気が合わない相手との関係を考えるときに、
ストレスを覚える関係でも、学びがあるから出会うんだよねと、
なんとか受けとめていくために、解釈を当てはめることが多いと思います。
似ていて気が合う相手に対しては、ごく普通に「気があうなあ」「似ているところが多いので楽だな」と思う程度で、学びが云々とあらためて考えないものなので、
今回は、意識的に考える機会が少ない「とてもよく似ていて気が合う相手との関係」について、スピリチュアルな観点からの考察をしてみたいと思います。
同じ要素をたくさんもっているということは、何を大事にするか、何を重視するかという価値基準が近いということです。望ましいと思う事柄自体は違っていても、判断の基準が似ていれば行動の取り方が似てくるのでストレスが小さいです。
たとえば「たくさんの情報を集めて、皆で検討してから決める」スタイルが同じであれば、選ぼうとする答えが最終的には違っていても、あの人の好みはそうなんだな、程度の印象となりそれほどストレスにはなりませんよね。
両者の間をとることもできるでしょうし、今回は相手にあわせようかということも無理なくできるでしょう。似ている相手なら、次回はこちらに譲ってくれそうだなという推察もだいたいできるものなので。
こうした似ている関係の「もっとも大きな学び」とは、
自分がもっている要素の、よいところを肯定できることです。自分を客観的に見ることは難しいので、よく似ている他者を肯定的にとらえることで、
間接的に「自信を深める」機会になっています。
自分のよいところはわかりにくい上に、わかっていても、わざわざ認めて肯定するという「いかにも」なプロセスに抵抗感がでることもあるけれど、
よく似ている他人を認めて肯定するという、ちょっと遠回りのワンクッションがあることで、自分らしさを肯定することができて、
力を得ることができるのです。
たぶん、お互いに。
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