大人になると「反対意見を言ってくれる人」が少なくなります。
大人になるということは、大人からみて「(小さい子どものような)助けなければならない存在では、なくなる」ということだからです。
「個人の考えや価値観を尊重しなければ」という思いがお互いにでてきて、ほどよい距離感をとって人間関係を作ろうとするのが、大人同士で構成する社会の集団です。
子どものうちは、たくさんの助言をいただけるもの。
子どもの頃は、親や先生や先輩など周囲の大人たちが、年少の者が迷わぬようにと、さまざまな助言を与えてくれるものです。
「そういうことは、してはいけない」「もっと別の、もっといい選択肢がある」「本当にそれでいいのか?よく考えなさい」と。
子どもの立場からすると、ときに、そうした大人の正論が「自分を邪魔している」ように思えるものかもしれません。「大人は頭が固くて困る」などと、思うこともあるかもしれませんね。
干渉されなくない、自分の力でなんでもやってみたい、という思いが強くなる時期ですからそれも自然なことです。
しかし、自分もまた、大人の年齢になってみれば、その意味と意義がわかりますね。あの経験はとても価値があり、とてもありがたい学びであったのだ、と。
大人と子どもという、明らかな上下関係があるからこそ、そうした構図がつくられます。
大人同士になると、上下関係をあえて作らなくなる。
大人になると、学校や会社などの例外を除き、上下関係をあえてつくらないようにして、うまく距離をとることが求められる場面は多いです。
波風を立てないようにふるまうほうが無難であり、そして礼儀でもあるという場面は多々あり、実際に、そうしたふるまいが好まれることも少なくないですね。
また、大人同士の付き合いは、本音ばかりとはなりません。
役立つ意見を得られたら、それは貴重な機会。
そういう状況の中で、もしも、自分に、はっと気づきを与えるような、無難なばかりではない意見を与えてくださる人がいたら、その人はとても貴重な存在です。
鋭い意見に、幾らかは愉快ではない気持ちになったとしても、そこに気づきがあるなら、そこでひとつ知恵を獲得したことになります。
こういう考え方になるのは、簡単ではないですけれど。
大人になると、プライドも高くなるので笑。
しかし、言ってもらいたくても、言ってもらえないのが普通なのですから、言ってもらえることはありがたいことですよね。
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