オーラとは、体の周りをとりまいて存在している、スピリチュアルなエネルギーです。
存在感が大きくて目立つ人や、印象が強い人に、「あの人は、オーラを持っているね」とか、「あの人は、オーラがある人だね」などの表現が使われることがあります。
実際にはオーラは誰にでもあり、特別な一部の人だけが持っているものではありませんが、存在感が大きくて目立つ人のオーラは、平均よりもサイズが大きくて、エネルギーが放たれる勢いも強いケースが多いです。
ですので、「オーラを持っている」とか「オーラがある」という表現の前に、「平均よりも」という言葉を加えたならば、その表現は正しいことになります。
こうした表現が、一般的によくつかわれていること、そして、実際のオーラのようすと揃っていることから、
多くの人が、「オーラという、その人自身をあらわすエネルギー」を、視覚以外の方法で、把握していることが、示されていると思うのですよね。
視覚的にエネルギーをとらえなくても、その他の感覚で「感じる」こともできますからね。
個性などの詳細まで把握するとなると、またちょっと別になりますが、「他の人と、何か違うものを持っているようだ」とか、「強いエネルギーなのだろうな」というレベルで、体感するということは、多くの人が、ごく自然に起こっているものです。
だからこそ、「オーラあるよね」という表現に対して、言葉を発するほうも、その発言を聞くほうも、違和感を覚えることなく、普通に受け入れて「そうだね」という共通認識になっているのでしょうね。
コメント
以前のリーディングで「感じてわかる」ところがあると教えていただきました。
思考の延長なので自覚がなく、今までずっと観察力がある(周りをキョロキョロ見てばかりいます)からわかるくらいに思っていました。
それでも、説明のつかないことが時々あり、不思議だとは思っていました。
最近になって私は「その人自身のこと」が短時間でわかっているということに気づきました。
ただこれ、感じた時点では不確定でまったく根拠がないので「・・・だろうな」くらいなものです。
まったく見えてませんが(^_^;)オーラを感じてるのかもですね。
まこ様
オーラに関しての「感じる」とは、この記事にもあるとおり、
どちらかというと「体感」があることを前提として書いています。
温かさを感じる、ビリっとしびれるような刺激を感じる、圧がかかる感覚がある、というような。
雰囲気などの形がないものを(体感を伴わずに)察知してわかることも、言葉として「なんとなくそう感じる」と表現することはありますね。根拠がないけれどそうとわかることを、根拠がないぶんをぼかすように、言い切らない表現にするというような。まこさんのケースは、こちらのほうでしょうか。
私が以前のリーディングで、どちらの意味のほうで「感じる」と伝えたのかは、その話題の対象とか、前後の話の流にもよるので、今となってはわかりませんが
たとえば「エネルギーを感じ取って、何かを把握する(=わかる)」という意味合いで伝えているとすれば、それは「わかる」という「直感的なほうのセンス」かもしれません。
「思考の延長のように・・・」ということであれば、それは体感覚の把握ではなく、直感的な把握でわかるということが該当するように思います。
いずれにしても、オーラというエネルギーを何かの形でとらえてはいるのだと思います。