すべての人は、たましいの繋がりをもつ、導き役の霊がついています。守護霊といったり、指導霊といったりしますね。
守護霊という言葉には、「守」「護」と、まもる漢字が重ねて使われていることから、自分を災難や苦難からまもってくれて、大変さを遠ざけて、幸せをあたえてくれる存在・・・のように思えてしまいますが、
実際のところは、「その人の、たましいの学びを見守り導く」存在なので、生活上の現実的な事柄について、ああしろ、こうしろと、過保護なおせっかいはしてきません。
そういうことは、本人の自主性で判断をしていくことが、この人生における学びでもあり、守護霊の役割は、学びの導き役だからです。
守護霊が伝えてくることは、「その人の学びに必要」な、気づくための「ヒントとなること」を、最小限、可能な範囲において伝えてくる、というしくみです。
直接的な○×を告げてくれることはほとんどないですし、こちらの知りたいことに、答えてくれるとも限りません。
伝えるべきことを伝えてくるのであって、知りたいことに(必ずしも)答えてくれるものではないのです。それが、必要だという判断になれば、何かしらの伝達はされるとしても、最終的な判断までは、いただけないことが多いです。
そこを自分できめることも、その判断にいたるまでの、迷ったり悩んだりする経験も、たましいを磨くための必要なものとなるからです。
たとえるなら、学校の先生が生徒に、黒板に書いて説明をしてくれることは、「問題をとくための手順」であって、「答えそのものではない」のと同じようなものでしょうね。
「守」「護」という文字があらわす意味としては、こちら側にいる人間が思っているよりも、もっと広い観点から与えられている「まもり」なのでしょう。
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