自分の優れたところは、とってもわかりにくいところにあります。
自分にとっての「普通」や「当たり前」の中に存在していて、自覚するのは本当に難しいものです。
「このくらい誰にでも簡単だろう」と思うこと、「わざわざ、意識すらしない」ことの中に、優れたところがあるものです。
優れているとは、「ものごとの程度や内容が、他より勝って優位性があること」です。
他より優位性を出せるとは、自分のほうが作業がはやいとか、悩んだり困ったりせず簡単にできるとか、同じ労力や時間内でたくさんできるとか、そういうことですよね。
そうした、発揮が比較的スムーズなものは、自分では「わかりにくい」のです。
あまり手ごたえや、達成感などがないからです。
これは意外かもしれませんが、
自分の優れているところに対して、これといった感慨などは、あまりわかないものなのです、普通すぎて。
速く、簡単に、たくさんできるという、力を出しやすいことは、自分にとって「順行」なので、「できている事実」があっても、それが「できている実感」にはなりにくいものです。
むしろ、うまくできないことはわかりやすいです。ストレスが大きく、なかなか進まないという「逆行」の動きは、抵抗感、否定感、違和感、さまざまな感覚がでてくるので認識しやすいです。
自分では、優れていることがわかりにくいですから、
「他人の意見」「他人からの評価」の中に、ヒントを見つけていくといいです。
自分が自然に普通にやったことを、誰かが「それすごいですね」「上手ですね」と言ってくれた経験を思い返してみます。
「過去に、まったく別の状況で、複数の人から同じことを評価されている」ことは、自分の得意で優れているところと思っていいでしょう。
ひとりだけなら、たまたまその人が思っただけかもしれませんが、複数の人から言われるなら、それは、たまたまではない「必然」ですね。
過去の記憶を掘り起こして、「自分には普通のことなのに、なんか褒められたっぽいこと」「自分では良いと思わないが、うらやましがられたこと」など、いろいろ見つけてみましょう。
でも、そのとりくみをしてみても、すぐに思い出せなくても大丈夫。そのまま流してしまって、忘れていいです。
不思議と、ちょっと時間が経ってから、ふと思い出されて「そういえば!」となりますから。
たとえば、その日の寝る前にいきなり思い出すとか、翌日の仕事中にいきなり「あ!」と思ったりとか。
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