たましいの望む方向へ、軌道修正がなされることがある。

私たちは、それぞれに「たましい」という領域をもっていて、いろんな個性や特性を発揮したり、課題を経験して学んだりしながら、この人生を過ごしています。

この世に生まれてくるということは、「そうする必要がある」ということです。意味なく生まれてくることはありません。

たましいレベルでは、誰もが「望んで」生まれてきているのであり、学びにあった環境や状況を「自ら、選んで」きています。

望んで来ているということは、この世で学ぶべき事柄が存在することを示しています。

一度の人生で学ぶ範囲はとても大きく、ひと言ふた言では表現できない、人間の知覚力では把握もしきれない、広くて深いものです

数量では表現できないですが、無数にある、といえるくらいの範囲です。

把握しきれないくらいの、無数ともいえる膨大な領域ではあるけれども、それでも、その領域の中で、一定の方向性というか、たましいがこの人生で学ぼうとしている、一貫した方向性を備えている人、そういうパターンで生まれて来ている人がいます。

そういうパターンがある、ということは、そうじゃないパターンもあるのか、という話になりますが、答えは「イエス」です。

そこは、それぞれのたましいの求めていることの違いで、バリエーションがあります。

特定の分野だけにとらわれず、広く浅くたくさんのことを経験するパターンを決めて来ている人もいますし、ほかにも、いろんなパターンがあります。

一貫した方向性の学びを決めてきている人で、たましいの望む学びの方向性と、違う方向に進もうとした場合に、自分の意向や感情とは無関係に、その人に最もふさわしい道へと、導かれていくことがあります

ある意味、軌道修正が掛かってしまうとも言えるでしょう。

この世での経験を、何もかもあらかじめ決めて来ているわけではないので、そのときの展開しだい、自由意思に任される部分もあり、細かい部分は、その都度、リアルタイムで(無数にある学びの中から)必要な学びを選択して、同時に実行していることになります。

ですので、たましいが望む「方向」というのも、それほどタイトなものではなくて、だいたいの方向にあっていればよいわけですが、

そこから、あまりに大きく外れる方向へ興味関心が出てくるなどした場合に、本人の意向を超えたところで何らかの力が働いて、方向転換をさせられる、軌道修正が掛かっていく場合があるのです。

そのような場合の「たましいが望む方向」とは、それが好きとかの「感情」「気分」などの、揺らぎやすく曖昧なものではなく、明確で揺るぎない「課題」や「学び」に基づいたものです。

そのようなケースの多くは、備えてきた才能や個性を、広く世の中に向けて発揮していくことを促されるでしょう。

才能や個性は、自分が持っているものではありますが、それは「使うため」に授かったものでもあるので、活用していくことを求められるのです。

自分の感情や気分のとおり、好きなように振る舞っていけるのが幸せなのか、それとも、自分の才能や個性を(自分のためだけでなく)人のために発揮して役立っていくことが幸せなのか・・・、その答えを出すのは難しいものです。

後者のほうが、理屈の上では理想的だろうなと思うとしても、私たち人間にはそれぞれ感情というものがあり、自由意思があるのが人間なので、なんだか割に合わないような気持ちになってしまうこともあるかもしれません。

しかし、生まれてくる目的にはさまざまなパターンがあって、中には、「人のために生きよう」と、そういう目的をはっきりと決めてきている場合もある、ということです。

そういう学びを持って来ている人は、違う方向へ行こうとしても、本来の行くべき道に戻されるというか、そうして決めてきたことを、思い出させられるような状況に向き合わされ、気付かされることがあるのです。

そのケースに該当するならば、最初は感情的な抵抗や納得のいかない思いがあっても、時間とともに、ゆっくりと納得が生まれて、そのことに対して、自主的な姿勢や意欲がでてくるようになるでしょう。たましいが望む事柄との関わりとは、そういうものです。

コメント

  1. まこ より:

    ここ数年でまさに記事のようなことが起こったような気がしています。
    何年か先に漠然と「・・・できるといいな」と思っていたことが、ある人との出会いで「今やろう」というより「今やらねば」という気持ちになり、方向転換させられたような気がします。方向転換というより方向は変わっていないけど一気にその場所へ進まされた感じです。
    その人は去りましたが、その役割を担って私の前に現れたのではないかと思ってしまいます。

    • リカコ リカコ より:

      まこ様

      たましいが決めてきたことに、自分で気づくのは難しいものなので、ときに、周囲の状況や、人との関わりを通して、気づかされることはありますね。