「痛いほどに、わかる」という表現。

先日、たまたまテレビから、懐メロらしきものが流れてきて、歌詞に「なんたらかんたらで~、痛いほどわかる~」という部分がありました。

「その人の状況や経験などから、きっとこのような気持ちだろう」と、自分もよくわかる、という状態の説明として、使われる表現ですよね。

意味としては、一般化していて誰もが理解できる言葉ですが、しかし、誰もが日常で使う表現でもないですよね。それは、「使う人」と「そうでない人」との差に、理由があるのです。

黒い翼の天使と白い鳥

体感覚が優れている人が、よく使う表現。

 

そのことに自分も強く共感できるとか、こういうことだろうなとわかることを文章化した表現には、「そのことは、とてもよくわかる」とか、「心の底から、そう思う」とか、他にも一般的な表現はたくさんあります。

他にもたくさんの表現がある中で、「痛いほどに」という表現を選ぶのは、 その人は、体感覚が優れている人なのだろうと考えられます。

そういう人にとっては、「体感覚での反応」と、「理解すること」が、近い位置にあって結びついた理解になりやすいので

「痛いほどに・・」とか、「まるで、体の中を逆流するように・・・」とか、「ぐっと押されるような・・・」という表現が、普段の会話の中でよく使われるものなのです。

ものごとの把握の仕方はいくつかあります。 「見ることで把握」、「聞くことで把握」、「感じて把握」、「想像(推察)を働かせる」などが代表的です。

誰もが、これからの複数を状況に応じて使い分けているものですが、中でも、「自分の得意な把握のパターン」があって、自然とそのひとつかふたつが、メインの方法として使われています。

このとき、体感覚での把握がメインになる人が、上記のような強く共感できるという表現をする際に、「痛いほどに」という言葉を選ぶのでしょう。

普段から、ものごとを把握する際には自然に、感覚に絡んだ把握の仕方になりますから、わざわざ情緒的にしたとかではなく、実際にそういう感覚でとらえているのだろうと思います。

私は、どちらかといえば、見て把握する比率が高いタイプです。

私なら、相手の思いや気持ちを深く理解する機会があったとして、もしも、その件を言葉にするなら、「気持ちを、深く理解しました」とか、「気持ちはわかります」とか、そのままの表現(笑)になりますね。

私は、体感覚があまり優れていないので、痛いほどにというわかり方にもならないし、痛いほどにという表現としての例えも、そもそも思いつきません。

無意識で使う言葉の選び方にも、その人の性質との関連性があるものです。ということを説明するのに、とても良い題材だと思ったので、忘れないうちに記事にしておきます。

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