学びのために「苦手」を備えて生まれてきている。

苦手なことを頑張っても、なかなか得意というレベルにはいかず、掛けた労力ほどの成果を生まないものです。だからといって、それが無意味とか、しなくていいということではないですが・・・。

苦手なことは、他の(それを得意とする)人の力を借りるという方法もあります。そして、自分もまた、得意なことで、それを苦手とする誰かに手をかしていくといいですよね。


人には、それぞれの個性が備わっていて、助けあうことができます。違いがあるからこそ、お互いに得意をいかす経験の機会が得られます。

できるなら、他人の手を借りたくない。それは、多くの人が抱く思いです。助けてもらうことにも精神的な負担はあるからです。

けれど、ひとりの力だけで何でもできてしまっては、そこに感動は生まれにくく、喜怒哀楽を十分に経験することができません。この世での学びとして、より多くの感動を味わうために、それぞれの違いが存在しています。

人に、得意分野が備わっていることは多くの人が知っています。

しかし、「苦手分野が、備わっている」ことは気づいていない人が多いです

苦手とは、欠けているところではありません。お互いに学ぶために、あえて「苦手を備えて」この世に生まれてきているのです

あなたが備えてきた苦手は、どんなことでしょう。そのことを自覚して、人の手を借りるようにしてみてください。そのほうがずっと、物事がスムーズにすすみ、ストレスも小さくなるはずです。

苦手なことに、人の手を借りることで、時間と労力の余裕がでてきます。

そうすると、借りたお返しとして、自分の得意なことで、誰かの役にたつことができます。苦手なことを得意になろうとこだわってしまうと、本来の得意をいかすだけの余裕が生まれてこないのです。

お互いにそうして、力を借りたり、与えたりしながら、人生を進ませていくほうが、大人の生き方として適しています。

ただし、人生の初期のうちは、苦手とわかっていても取り組んでみる経験が役立ちますから、子どもさんや新人の指導をする場合は、また別の考え方が必要となるでしょう。

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