日常の事柄はすべて、何かに気づくための機会。

あるとき、家の近くを歩いていたら、大型犬を散歩させている女性とすれ違いました。

歩道ですれ違うときに、おそらく私を先に通そうと、女性と犬は立ち止まりました。なぜか私もその動きにつられてしまい、つい犬の近くで立ち止まったところ、女性が私に「こんにちは」と、ひと声掛けてくれました。

そうしたら、犬が「あ、この人、友だちですか?」みたいな感じで、しっぽを振って私のところへ来てくれました。

犬が、自分に関心が向けられたことに喜んでやってきた、という雰囲気ではなかったです。飼い主が話しかけた相手(私)のところへ、自分もいこうという動きだったと思います。

とっても賢いんだなあと、関心しました。

飼い主の知り合いならば(違うけど、笑)、自分も相手に気配りをしなければという動きを、自分で判断して行っているんだなあ、と。

私たち人間は、もっと大きな判断力や行動力をもっているのに、こうした気配りを忘れることもありますし、わかっていても軽視してしまうこともあるものです。

ほんのちょっとのことが、できなかったり、しなくてもいいやと思ったり。

この方達との関わりで、とっても学ばされた気持ちになりました。

日常の、関わりをもつことはすべて、何かに気づくための機会で、こうした関わりが得られたことに、ありがたいという思いでいっぱいになりました。

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