自分の「生活や人生の質を上げる」ためのとりくみとして、たとえば、部屋のエネルギーを入れ替える意味で「朝起きたら窓を開けて、空気を入れ替える」のは、やろうと思えばすぐにできます。単なる手間の問題だけで「自分の心を刺激しない」からです。
しかし、自分の「心のエネルギーを入れ替える」ために、自分を否定したり、過小評価したりしてしまう「心の歪みを見つめる」のは本当に難しいです。そして「手放す(変える)」のはもっと難しいです。
少しでもできていけば、空気の入れ替えどころではない大きな効果があらわれますが、ものすご~~~~~く「心を刺激する」ので(>_<)、違和感も、抵抗感も山ほどでてきてしまいますからね。
でも。ここにとりくめると、本当にその後の人生が変わります。
少しずつでいいんですよ。できるところから見つめなおしてみることで、まずは「自分自身が変わり」→「自分の行い(選択の仕方など)が変わり」→「行いの結果が変わっていく」という順番で、どんどん作用が大きくあらわれていくんですよね。
コメント
私自身の事ではなく、第三者として感じた経験です。
ひとつ目は、Aさんが上司に提出した書類に不備がありました。
その間違いを上司が指摘し、修正を依頼したら、Aさんは「上司は私が嫌いなんだ」とすごく落ち込んでいました。
ふたつ目は、上司が電話中なのを忘れて、側で私とBさんが大きな声で冗談を言っていたら、上司に「電話中だから静かに!!」と言われました。
私は自分の不注意で申し訳なかった、今度から気をつけないといけないと思い、Bさんは「あんな言い方をするなんて傷ついた」と思ったようで、上司を恨み一日中機嫌悪く過ごしました。
AさんもBさんも、ものの取り方で随分と損(その日を気分悪く過ごす)をしているなと思いました。
栗ご飯さま
Aさんも、Bさんも、その見解や発言がどのような要因からでてきたのかはそれぞれ違うと思うので、その根底に「自分の否定」「自分への低評価」があったかは何とも言えない(栗ご飯さんにも、本当のところはわからない)と思うので、できればご自身のことを題材としていただくほうがコメント返信をしやすいです
前は、自信いっぱいで行動している人がキライでした。自信がないと、自信がある人が目障りになります。最近は自分を信じて行動できるので、自信がある人をみても心がザワザワしなくなりました。ここがワタシが一番変わったところです。
ムームーさま
先日はご利用をいただきありがとうございました。
確かに、自分が(自信のなさから)やらないでいることを、自由にのびのびやっている人を見ると、何とも言えない気持ちになったり、勝手に思えてしまったりすることはありますよね。そして、自分も自信をもって行動できるように変わると、そこが気にならなくなるのもわかる気がします。その人と同じ立ち位置にいけると、それが「普通」「自然」に思えるためだと思います。その気づきは素晴らしいですね!
前は自分のことが大嫌いでした。物事がうまくいかない時には自分をさらに責めてしまい、感情的になってあまり良くない選択肢を選んだ末に、八方塞がりの状況をつくるクセがありました。
しかしある日、心理学の本(加藤諦三など)を読んで自分の生い立ちを客観的に俯瞰する機会があり、自分の自分自身に対する認知がネガティブに歪んでいることに気づきました。認知が歪んでいることにさえ気づけば、自己評価が低くて苦しくてもそこまで感情的にならずに冷静に物事に対処できるようになりました。
どんな自分でも子どもみたいに優しいお母さんみたいに慰めて褒めてあげる練習を日々繰り返すことによって逆境にあっても「万事塞翁が馬」にできるスキルが培われるのかな、と思います。
Bailey’s Tail さま
心理学の本から、自分を俯瞰して眺めることができたのはとてもいいですね。そうした心の動きのしくみを頭ではわかっていても、なかなか、自分に当てはめて解釈するのは難しいものなのですが、それができたというのは、Bailey’s Tailさんは「思考力」が高くて「冷静」な方なのでしょう。そうした姿勢を自分に根づかせていけたら、ひとつひとつの物事に「良いか悪いか」「好きか嫌いか」という両極端の定義をこえたところに、自分の意識をもっていけるようになりますよね(^_^)/