自分に合わない仕事を、していると思うときの考え方。

企業に雇われて働く場合は、雇い主や上司、人事担当者が、どんな業務を担当するかを決めることが多いと思います。

自分の資質や個性に合っている業務を任されるのが、一番、やりやすく、成果もあげることができるとは思うけれども、そのマッチングは、自分の思い通りにはならず、雇う側の意向により決まっていきます。

与えられた仕事が、自分の資質や個性に合わない、やりにくい、と思っても、雇われて働く以上は、与えられた仕事をこなしていかなければならない、というのが現実です。

理想をいえば、それぞれの従業員の性格や個性から、どんなことが向いているか、どんな仕事を本人が望んでいるか、取り組みやすい形態は、というような考慮をしてくれれば、一番いいです。

そのほうが、トラブルもストレスも減るでしょうし、成果も上がっていくことが多いでしょう。しかし、そこまでの配慮はなされないことが多いです。

ときに、適性が合わない仕事を与えられてしまうこともあるかもしれませんが、そこは、自分が得意ではないことを学ぶための機会だ、と思って、切り替えていくことも必要ではないでしょうか。

仕事をすることも、たましいの観点からみれば、学びの経験のひとつです。

けれど、それは、結果として、たましいの成長という観点からみればそうだ、ということであって、企業が従業員を雇い入れるのは、従業員に学ばせることが目的ではありません。

企業は、労働力を提供してもらうために雇用をして、その対価として、賃金が支払われます。

そのような形態での需要と供給で結びつきにおいて、自分はもっと、別の仕事が向いている、とか、こんなことでは自分を活かせない、といっても、それは、個人的な都合であって、雇う側が、必ず考慮してくれるとは限りません。

すべてが自分の思い通りにはならない状況は、「思い通りにしていたのでは、きっと気づくことがない分野のことを知るための機会」になります。そういう意味で、仕事という、難しさが幾重にも絡んでいる要素を、私たちは、経験するようになっているのかもしれません。

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