「普通のひと言」にイライラしやすい、視覚が優性な人。

人から言われる、深い意味のないひと言が、やけに気になってイライラしやすい人がいます。

言われていることは、自分に対する注意でも命令でもなく、一切の攻撃性も悪意もないことでも、たとえば「髪型変えたの?」とか、「いつもと服装の雰囲気が違うね」と言われるだけでも、不愉快な気持ちになることがあります。

自分を否定されているのでもなく、間違いを指摘されているのでもない、単なる世間話や雑談としての会話であり、それ以上の意味はないことを頭ではわかっています。

しかし、そのことに感情がついていかずにイライラして、素直に「そうだね」「そうです」という、相手の意見に肯定の反応を返したくない気持ちになるのは、「視覚による認識が優性なタイプである」ケースが多いようです。

普段あまり意識して考えてみる機会はないと思いますが、物事を認識したり理解したりするときに、誰もが自然に「得意な方法」をつかっています。

たとえば、ある行動について手順を説明されるときに、口頭で「この件は、ああなってこうなって・・・、その次にこうして・・・。注意しておくべき点はあれとこれで・・・」と説明してもらい、それを「聞く」ことが分かりやすい人もいれば、

手順や注意点が、文章にまとめられて一覧性がある書類で「読む(見る)」ほうが便利でいい、と思う人もいますよね。

前者は聴覚、後者は視覚での把握が得意なのでしょう。

聴覚で認識したり理解したりすることが優性な人にとっては、「髪型変えたの?」のひと言は、イライラの原因になることは少ないでしょう。

しかし、視覚が優性な人には、そのひと言が「トゥーマッチ」になることがあるのです

「そんなこと、いちいち言わなくても、一目瞭然でしょう」とか、「見ればわかることを、答えるのが面倒」と思ってしまうんですね。

誰もが自分の感覚を基準に考えるので、分かりきっている内容の「自分ならきっと言わない、ひと言」を、伝えてくる相手の感覚の違いにイライラさせれてしまいます。

簡単なことを再確認されているような、尋問されているような気分になって、素直に答えるのが、相手のペースに巻き込まれたかのように思えて不愉快になります。

五感の使い方の度合いは、人により違うので、そのような受け止め方の差異がつくられるケースもあるのです。お互いの違いを理解して、尊重したり流したり、という柔軟な対応をしていけるといいですね。

コメント