してあげること、してもらうことへの認識の差。

人間関係において、自分の側ばかりが一方的に尽くすような形になることがあります。

自分ばかりが、気配りをして、優先して、あれこれ動いてあげて、となるとだんだんと負担と不満がでてきます。

特定の相手との間でだけ、そのような関係性になってしまうなら、「してあげる」「してもらう」というやりとりに対する、自分と相手の、考え方の温度差が原因だと思います。

普通は、一方だけが負担が大きくなって、あれこれ尽くす形になったら、相手の立場としては「そのお返しをしよう」とか、「その分こちらも何かのときにお礼しなければ」と、釣り合いを取ろうとします。

ですから、適度なところで相手からもリアクションがあるはずで、一方的に尽くし過ぎるような関係性には「ならない」ものだと思います。

自分が負担になるほどの一方的な状況になってしまう、という時点で、自分と相手との間には、してあげること、してもらうことへの、解釈の差が大きいということなのでしょう。

誰もが「自分の考えが一般的で普通」と思っているものです。

相手のために配慮してあげることができる人は、それが当然のことと思っていて、同じようにしない相手が不思議に思えるけれども、

そういう感覚をあまり持っていない人からすると、そもそもそういう考え方をしないことと、相手がしてくれたらありがたい、ありがとうと感謝を示す、というところまではできても、「ここまでしてくれたら、大変な負担があるのではないかなあ」とまでは、考えられない人も、結構いるものなのです。

悪気なく、そこをあまり気にしない、そこまで考えられない人は一定数いるものだとわかっておけば、ただそれだけのことなのです。

自分と同じ尺度で測ろうとすると、「反応が返ってこないということは、自分がしていることはたりないのだろうか。相手に通じていないのだろうか」「それとも、迷惑なことをしているのか」と深刻に考え込んでしてしまうことがあるのですが、

実際のところは、そこまで複雑さはなく、もっとシンプルな性質の差による態度の違いだったりするんですよね。

そして、考え方によっては、こういう関係も「悪くはない」ものです。

気が利く人同士の関係というのは、気を抜くことができない関係にもなりやすいです。相手がしてくれたことに気兼ねしてしまう、大変さがわかってしまいますから、してもらうことへの申し訳なさやら、自分もお返しをしないとという気持ちやらで、複雑になるからです。

こちらの側の負担を理解しない相手との関係は、そこをあまり考えなくてすむという気楽さもあります。配慮をしてもしなくても、あまり変わらないという(笑)安定感?は貴重だと考えれば、不満も少し薄れるものではないでしょうか。

自分ばかりがしてあげていることに、相手が甘えるようになり、依存してきたり、過剰な要求をしてくる場合はまた別ですが。

そうでないなら、あとは、自分の受け止め方ですよね。

多くの場合、一方的にしてあげるばかりで負担だと思っている自分のほうにも、しかし、そうしないではいられない(いい人の立場でいないと不安になる)というとらわれを持っていたりしますので、

自分の立ち位置や、行動パターンなどを見つめ直すことも大事だろうと思います。

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