新しい動きが、新しい繋がりと、新しい学びを引き寄せる。

この世のすべては、広い意味で何らかの意味をもつ必然であり、無作為に意味のないことが展開していくことはありません。

人との関わりも同様で、お互いにとって共通している「何か」、同じような「何か」をもった人同士が引き寄せ合うというスピリチュアルなしくみが存在します。

このことを「波長の法則」といいます。

この法則があるゆえに、同じ要素をもつひと同士が集まって、お互いに学びあうのですが、いつもと同じ行動、いつもと同じ人間関係の中にいると、広がりがでにくいですよね。

意図的に、新しい行動を起こしていくことも大事なことです。自分の周囲に新しい繋がりを作り上げることは、人生を豊かにしてくれます。

何かしらの共通点が、存在します。

出会う人、関わる人とは、何かしらの共通点があります。共通点が何もない人とは、関わる機会がつくられませんし、お互いに関心をもつこともなく、すれ違うことすらないのです。

お互いの性質のすべてを知ることは難しく、私たち人間の感覚でそのすべてを把握することはできませんが、何かしらの共通点は存在します。

共通点が多い人には、安心感を覚える。

共通していることの度合いが大きいほど、自分と近いと感じますし、馴染みやすさがあるものです。お互いに安心を与え合う関係となります。わかり合えることが多いので、構えなくてすんで気楽さもあります。

そういう人間関係があることは、とてもありがたいことであり大切なことですね。安心できるものは心の安定になり、外に向かって活動もしやすくなりますから、いろんな意味で支えになります。

しかし、安心だけでは広がりが少ない。

ものごとは常に裏表の両面があります。よい面があればその裏側には別の面があるという見方ができます。安心の関係は望ましいことではあるのだけれども、それだけに偏ると、新鮮な刺激というエネルギーをやりとりする機会が少なくなります。

同じ相手に対してあれもこれもは求めすぎであり、安心を与えてくれたらそれで十分にありがたいことではあるのですが、しかし、自分の成長という面から考えるならば、いつもと違う刺激も適度には得ていきたいものですよね。

安心できる関係を大事にしつつ、別の刺激をえていく目的で、人間関係のひろがりを考えてみるといいと思います。

新しい関係からの刺激も、ときにはいいもの。

そのためには、安心できる関係に感謝し大事につつも、自分のほうから、いつもと違う人間関係を得ることに踏み出してみることもよいものだし、必要なことでもあると思います。

似ている度合いがあまり大きくない(しかし共通点がゼロということではない)相手とのやりとりは、いつもと違う新たな気づきを与えてくれますね。「なるほど、そういう考え方もありだなあ」とわかるというのは、自分の器を広げてくれます。

行動を変えると、出会う人の層がかわる。

いつもの自分と、少し違う行動をしてみるだけでも、行動範囲が変わりますので、関わる人の層が変わってきます。

違う行動をしている自分の、放つエネルギーもいつもと少し違ってくるので(もちろん自分が、別の人に変わるわけではないので、備えている幅の中で、前面にでてくる部分が変わるというような意味です)、そうした関わりからうまれるいろいろな人や物事の反応にも違いがあらわれてくると思います。

こうしたしくみをわかっておくと、反応の違いのあらわれを、楽しんでいくこともできますね。

大げさなことでなくて十分で、たとえば、いつもと違うお店にいく、いつもと違うルートで移動する、いつもは買わないものを選んでみるなど、普段と少し違う行動をとり、そこで関わる人と挨拶をしたりひと言ふた言かわすだけでも、エネルギーのやりとりは行われます。

新しい刺激は、自分の成長につながる。

無理にそういう行動をとるべき、ということではないけれども・・・、しかし安定した関係の中にだけいると、新しいことを「いいことだ」と認識する自分のアンテナが鈍ってきて、守りにはいって、無難になってしまいます。

そうなると、(新しいことをすれば、広がる余地がある)可能性が、安定を得られる代わりに制限されることになりますね。それはちょっともったいない!と思うのです。

新しい関わりは、面倒なことも多いし、どうなるのかなと不安もあるし、失敗するかもと怖いこともあったり、いろんな思いがでてくるものです。

しかしそういう未知の要素があるからこそ、刺激になるということなので、そちらのメリットに意識を向けていくといいのではないでしょうか。

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