軽く扱われないためには、自分の力をもっと「あらわす」こと。

周囲に配慮してふるまう人は、ときどき「自分の力を低く見積もられて、労力や存在を軽く扱われてしまう」ことがあると思うのです。

自分の力を誇示したいわけではなくても、そういう扱いをされると、配慮している自分が一方的に損をしているような気持ちになりますよね。

こういうことは「周囲に遠慮しすぎて、周囲を配慮しすぎて、自分の本来の力を出さなすぎる」から起こることです。

相手をたてようと自分を控えめにみせて、相手が罪悪感をもたないように自分が大変そうなそぶりはみせないようにと、相手を中心にふるまいすぎると、

全員ではないにしても、中には、配慮が当然のように受けとる人がでてきて、こちらの掛けた労力を「たいしたことない」「大変じゃない」と思われてしまいます。

他人は、自分ほどには、自分のことをわかってくれないので、あまりに控えめにしていては、伝わる度合いは「そのくらい」なのですよね。わかってくれる人はわかってくれるけれど、そういう人ばかりではないということです。

自分を等身大で認めてもらい、お互いの間によい関係を作りたいと思うなら、遠慮し過ぎ、配慮し過ぎにならないように、

ちょうどいいバランスを意識しながら、

自分に備わっている力を、もっと外に向けてあらわすことです。

コメント

  1. きょうこ より:

    それ、ワシやないか~!と思いました。
    ありがたいことに体が丈夫で仕事を病欠したことがなく、風邪やインフルの季節には、欠員補充の役になります。

    でも、最近のインフルは感染しても熱が出ないケースも出てきています。

    おかげで私は「実はかかってるけど、自覚がなくて撒き散らし系」と疑われかけたことがありました。

    かかった人は復帰時に「体調大丈夫?」とか心配されてるのに、
    欠員を埋めていた私は「撒き散らし系にならないように気を付けなさいよ」と少し説教され、出勤を労われることがなくて虚しい思いをしました。これは去年の出来事です。

    私は普段の業務でも『プロなら苦労を表情に出さずにこなすもんだ』という考えで仕事をしていると、その考えどおり、人からも出来てあたりまえに見られてしまいます。

    だから、その中で不器用なところを露出してしまった時、そこが目立って、いろいろ言われることがあります。

    自分の力をあらわしていくって、難しいですね。私の課題です。

    • リカコ リカコ より:

      きょうこ様

      お仕事の内容によって、または与えられている役割によって、
      周囲にあわせる形で動いたり、その場を調整することが力の掛けどころだったりしますよね。
      そういうシチュエーションで、「自分の力」というあらわし方は難しい場合もあるので、

      それとは別の部分に、あらわしていくといいと思いますよ。

      とにかく、自分の側で、放つ力と、受けとる力が、バランスがとられればいいということなので。