シンボルが見えるという、霊的な見え方がある

スピリチュアルな能力が「視覚」と結びついたあらわれになることを、霊視といったり透視といったりします。

こうした「見える系」のあらわれに、

シンボルとして見るという形があります。

実際のようす「そのまま」が見えるのではなく、そのことを連想させるイメージ画像、文字、記号などが見えたり伝わったりするものです。

幻想的な門

たとえば、真っ赤な炎が見えたら「エネルギッシュ」「いつも怒っている」などの性質をあらわしているとか、川が見えたら「向こう側にいくのを”阻むもの”がある現状」をあらわしているとか、

散らかった部屋に住んでいて掃除をする必要があるときに「捨てる必要性のイメージ」として「ゴミ箱」が見える、ようなことです。

こういう連想のようなイメージの見え方も、

ちゃんと意味が通っていれば「霊的に見ること」に含まれます。

実物がありありと見える力をもつ人は少ないですから、私をはじめとした多くの霊視者はこうしたシンボルの見え方を併用していると考えられます。

ちなみにシンボルやイメージは、全員に共通する画一的なものではなくて、

霊視者によって違いがあります。

たとえば「真っ赤な炎=怒り」という意味付けで見える人も、「真っ赤な炎=元気な人」という意味付けで見える人もいて、

見る人の個性がのった規則性があります。

規則性がわかるには時間もかかるしコツがいるので簡単ではないですが、それがあるから雑念や妄想のイメージとは「わける」ことができます。

シンボルの規則性とは、上記でいえば「怒り」は「炎」で見えるというパターン化がつくられることです。ある日は怒りとして「炎」が、またある日は「刀」が、また別の日は「振り上げたこぶし」が…、とばらつきがでたりはしません。

最初のうちは定まらずに解釈が散らかることはありますが、エネルギーを受けとるコツが身についてくると、シンボルがだいたい決まってくるのです。

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