人という存在は、「肉体という物質を伴う、霊的な存在である」と、スピリチュアリズムでは解釈していきます
(肉体の中に霊がある・・・のではなく、霊が主軸であり、霊が身体を伴っている、というとらえ方になります)。
私たちは、人であり、そして「霊」でもあるので、誰もが霊感という感性を備えていて、必要に応じて、日常の中で霊感を使って過ごしています。
ほとんどの場合、無意識で自然とそうしていますし、そうなっています。
霊感の備わり方には、個人差がある。
身体の性質が人それぞれであるように、霊としての性質もそれぞれなので、霊感の備わり方には個人差があります。
大きく備わっている人も、小さく備わっている人もいます。大きくそなわっていても、まったく自覚がない人もいますし、霊感の存在を否定している人も少なくないのが面白いところです(笑)。
霊が見える等の、認識しやすい形であれば別ですが、そうではない備わり方だと、あらためて自覚する機会はないでしょうから、霊感を霊感と思わないまま過ごしている人は多いのでしょう。過去の私自身もそうでした。
霊感は、すべての人に備わっているという点は共通していて、しかし備わり方にも、あらわれ方にも、人によってかなりの違いがあるものなのです。
予感も、広い意味では霊感の一部。
霊感という言葉から連想されるのは、たとえば霊の姿が見えるとか、声が聞こえるという現象かと思いますが、それは霊感という幅広いものの一部であり、広い意味では、予感や直感などといわれる感覚も、霊感のあらわれであると、ととらえることもできます。
そうした感覚を無意識に働かせて、危機回避をしたり、自分の人生をうまく運ばせる選択をしていたり、いろんな形で霊感は使われています。
予感が正しくても、認識されないことは多々ある。
たとえば旅先での食事で、ある一品になんとなく嫌な感覚がして、「食べないほうがいいだろうと思い、手をつけなかった」とします。事実としての根拠(色や匂いから、古いと思った等の)がなくても、なんとなくそう感じることはあるものですよね。
食べないという選択をとって、その後に何も起こらなかった場合、・・・何も起こっていないので印象に残りませんね。実際にそれを食べていたとしたらどうなっていたかという仮定は、その食べ物を検査でもしない限り、把握しようがなく、こういうことの大部分はそのまま忘れてしまいます。
「食べないほうがいいかなと思いながらも、つい食べてしまい、案の定、お腹の調子が・・・」となれば、「やっぱり!」とわかりますが(笑)、回避しているケースは、何もなければそのまま記憶が過去になっていき、忘れてしまうものではないでしょうか。
霊感というものは、本来は、当たったとかそうでないとかの○×で定義できるようなわかりやすいものばかりではありません。簡単には説明できないような深さと広さがあるものです。
しかし、上記のようなケースなら、わりと単純に○×で計れるようにも思われますが、しかし、そうした狭い範囲の物理的な事柄であっても、「未然に防いでいる、回避している」という予感的なあらわれの場合は、回避してしまえば何も出来事が起こらないので、当たったとわかりません。
実は、こうした予感的センスが強い人ほど、回避ができて、結果として何も起こらないので、霊感のあらわれが視覚を伴う場合とくらべて、優れているのにわかりにくい、まったく自覚していない・・・どころか、霊感やスピリチュアルを全否定しているケースも意外とあるものなのです。
必要な場面で、自然と発揮されているもの。
誰にも必ず、霊的な感性は備わっていますから、そうと意識されていないだけで、日常のいろんな場面で必要に応じて霊感は使われています。それで役立ったり、得をしたりしてしますし、不要なことを回避することもなされているはずです。・・・しかし、それがわかりやすく認識される形ばかりではない、ということですね。
意識しようとしまいと、自覚があろうとそうでなかろうと、その人に備わっている霊感という感性の幅の中で、必要に応じて発揮はなされていきます。
コメント
自分は気がつかない。
これは実感します。
私のケースは自分では全く気がつかなかったけど、他人が気がついていました。
ある日同僚から、
「寒椿って100発100中レベルで、もしかしたらそれ以上の確率で(どんな確率や〜?!) 勘がいいけど自分で気がついてる?」
と言われました。
自分で勘がいいとは一度も思った事もないし、勘とか直感とかには全く興味もなかったので、同僚の言葉が意外でとてもビックリしました。
それから自分の勘に意識を向けて観察すると、確かに勘というか、ふっと思った事が実際に起きるので、自分は勘がいい方だと認識できました。
もし同僚のひと言がなければ、自分の勘の良さなど全く気にもしなかったけれど、反対にそこに気がつく同僚もすごい観察力だなと感心しました。
寒椿さま
自分では気がつかなくて、誰かのひとことがきっかけとなって
言われたことを改めて考えてみると、そうかと思うケースは、確かにありますね。
指摘してくださった同僚さんは、観察力もすごいですが、記憶力もすごいですね。