この世に生きる私たち人間は、「肉体をもっている、霊(的な存在)である」というのがスピリチュアリズムの基本的解釈となります。
人は霊的な存在で、霊性というものを内包しています。
よって、「誰もが、霊感を備えている」とも言えます。
霊感とは、一部分の人にだけ存在するものと思われがちですが、そうではありません。
備わり方、大小の差はありますが、皆がもっているセンスなのです。
霊が見える=霊感、ということではない。
いわゆる「霊の姿が見える、未来のことが伝わる、オーラが見える」などが霊感のあらわれである、という解釈をされやすいですが、それは「広い範囲のごく一部分を、わかりやすくクローズアップした解釈」です。
実際のところ、霊感にはもっと広いバリエーションがありますし、あらわれ方もさまざまです。
「見える」というあらわれになるか、それとも、「見える以外」のあられになるかは、生まれ持った性質によって個人差があります。
ですので、見えるかどうかという一点のみでは計れず、霊感が強い人ほど霊が見える……ということでもないのです。
たとえば、霊が見える人と、霊が見えない人がいて、後者のほうがずっと霊感が強いというパターンもあり得ます。
見えるという形であわれれるかどうかは、備わっている霊的な回路の特性によるもので、「見えるという時点で、霊感が平均以上である」ことは言えますが、霊感のあらわれは、見えることに限定されるものではない、ということですね。
霊感を、自覚しにくいケースも多々ある。
誰もが、日常の中で無意識に、いろんな形で霊感という感性を使いながら過ごしているものです。
あまりにそれが自然であるので、気がつかないだけですね。たとえば、直感も、芸術的なセンスも、広い意味でいえば、霊感と近いセンスです。
「見える」というあらわれ方なら、そうとわかりやすいのでしょうけれども、そうではない備わり方、使われ方であれば、なかなか自分の霊感を意識する機会がないでしょうね。
意識にのぼらないまま、「そうすることや、そうなることが、自分にとって普通」であり、「他の人も、同じようにそういうものだろう」という認識になってしまうからです。
そのため、霊感の強い人ほど自覚がないことも多いですね(^_^;)。
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