違和感とは、必ずしも「悪いもの」に抱く感覚ではない。

相手に対して、または特定の物事や言動に対して、「違和感を覚えた」という感覚になることがありますよね。

この感覚は、「自分の認識との差異」から生じます。

しかし、自分の感性とまったく違うものは、そもそも感じることができません。自分の中に「響くもの」がなければ、何も感じないはずだからです。

たとえ響く感覚が違和感であったとしても、そのことを感じ取っているという時点で、自分の中にも同じか近いものが存在している、そうした感性の領域をもっていることになります。

自分の中に「ある」からこそ、感じられる。

自分の中にないものに対して、違和感を覚える、というならわかりやすいですが、実際の響き方としては、「自分の中にまったくないものは、違和感すらも覚えない」ものなのです。

好感であろうと、違和感であろうと、そのことから感じている響きがあるなら、それは、自分の中に同様の波長が存在していることのあらわれです。

自分にとってイレギュラーな響き=違和感。

いろんな感覚としての響き方のうち、自分の中で「スムーズな響きと認識されないもの」「何か、引っ掛かりがあるもの」に対して、違和感というラベルが貼られていくようなものです。

そのエネルギーが、自分としては「こうあるのが正規だ」と思っているのと違う響きをしていて、イレギュラー(変則)に感じられると、違和感となります。

または、それについて、自分が「具体的にこうだと定義しきれないもの」はすべて「違和感」とカテゴライズされることもあります。特に、感じるセンスが優れている人はそうなりやすいですね。

つまり、違和感とは、自分にとって正規な響きだと思っている以外の、とても広いものに対して起こってしまう場合もある、大雑把な認識でもあるのです。

悪いものだけに抱く感覚ではない、ということ。

ここでひとつ、気を付けなければならないのは、自分的にそれがイレギュラーに感じられたとしても、それが「悪いものとは限らない」という点です。

ここを多くの人が誤解しています。そして、変に自分の感覚に自信をもってしまって、違和感を感じるものは悪いものだとか、合わないものだとかの決めつけをしいるケースもあります。

たとえば、甘い味が好みの人が、辛い味を口にしたときに、「うわー、辛い!好みじゃないな」と思ったとしても、「辛い味は、(好みと違うというだけで)悪いものではない」ですよね。

この場合は、誰もが辛い味を知っているからこそ、「辛い!」と分類できるけれど、もしも、辛さというものを知らなければ、これは何か違う!自分の知っている味と違う!という、「違和感」となるかもしれません。

「おいしくない!」という定義になるのも、それは「おいしいの反対として、おいしくない」という認識が自分の中に「ある」からこその分類です。「おいしくない」をしらなければ、何とも定義しがたいということで、「違和感」になるかもしれないのです。

自分が正規と思っていることや、こうだと定義しきれること以外は、「違和感」という、とても大雑把な分類になることもあり、

つまりは、それの響きが心地よく感じられないとしても、「悪いものだから違和感になるとは限らない」ということです。

自分の中で、ストライクゾーン(正規)の枠を、本来より狭くとらえていれば、自分に合うものすらも!違和感を覚えてしまうことも、場合によってはあるかもしれないのです。

判断基準のひとつとして、いかす。

その時点での、自分の正規だと思う認識や、知覚して分類できる範囲によって左右されてしまうのが「違和感というセンサー」です。

判断の基準として役立つものではあるのですが、曖昧さもあるので、そのセンサーのみを、単独で判断の道具とするのは、私としてはあまりお勧めしません。

どのようにセンスを扱うかは人それぞれでしょうが、上記のとおり、いろんな幅広い物事に対して響く感覚であることや、自分の認識との差異とは、事実との差異とは限らないことを忘れないようにして、そうした理解の上で、役立つ使い方をするのがいいと思います。

せっかく備わっているセンサーですから、適応範囲を理解して、判断基準のひとつとして(それだけを単独にせずに)使う分には、いい働きをさせることも可能となるでしょう。

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