悲観的なのも、楽観的なのも、生まれ持った性質です。

悲観的に考えるタイプの人がいますよね、ちょっと悪いほうに想定しておき備えたいような、いろいろ先回って心配してしまうような、慎重な思考や行動が習慣になっている人です。

一方、とても楽観的に考えるタイプの人もいます。悪くなる想定をあまりしない、備えておくという考え方をしない、なんとかなるという考え方で、すべてに大きく構えていたり、またはあまり深く考えていなかったりします。

これはどちらも「そういう性質である」というだけで、良い悪いという区分けはないのです。

どちらかというと、楽観的であることがよしとされ、悲観的であることはその逆の位置付けになることが多いですが、「それぞれ長所も短所もある、性質の一つ」であることは同じです。

どちらも、生まれもった個性のひとつ。

人の気質の作られ方とは、生まれた時点で備わっている要素の比率が大きいので、そう簡単に変えられませんし、変えるべきものというとらえ方も必要がないですね。

どちらであっても「そういう個性をもって人生を過ごしていくことがが学び」なのですから。

変えようとする性質の事柄ではないし、そう簡単に変えることもできません。

自分が備えている性質が、自分の人生の運びスムーズにさせていないならば、生まれ持ったものを、マイナスに発揮させなければいいだけです。

プラスの方向にいかすようにすればいいんですよね。

この性質だからこそ、有利になる部分があるはず。

悲観的な人を例にとって説明します。

「悲観的でいるのは損をするので自分を楽観的に変えたい」と思っても・・・それは無理な取り組みになってしまいます。そして、悲観的であることは別に悪いことではない、という理解の仕方も大切です。

悲観的になりすぎて、ものごとを複雑にして混乱させることには気を付けなければなりませんが、悲観的だからこそ慎重になれるというメリットもあります(楽観的な人は、それができません)。

自分の優れていること、得意なことは、「自分にとって、呼吸のように普通のこと」なので意識していないだけで、実は、その性質に助けられていることも少なくないものです。

「でも、楽観的な人って、好かれることが多いじゃない。ああいう人が羨ましい」と思うとしたら、それは「ほどよく楽観的な人だから、好まれる」のです。極端なまでに楽観的な人は、大人の社会で浮いてしまうことも多いのではないでしょうか。

悲観的なところから生まれる慎重さが、好まれたり重宝されたりすることも、多々ありますよね。楽観的な人のような、わかりやすい好まれ方にならない、というだけで、評価されていないわけではないのですから、自分の性質を否定せずに、それをどのようにプラスに活かしていくかを考えていくとよいと思います。

逆の、楽観的な人の例は、ここではとりあげません。

自分を気にするのは、悲観的な人の特徴。

なぜ悲観的な人を例にとり、楽観的な人のケースを説明しないかというと、楽観的な人はこういうことをあまり気にしないからです(笑)。

言葉での解説での納得をそれほど必要とせずに、自分のそのときどきのフィーリングで前進していくことが多いですね。

こうした説明で、解釈を自分に根付かせるというプロセスを必要とする慎重さこそが、悲観的な人によくみられる特徴です。そのことが、あるときには長所になり、あるときには短所になりますので、よい形で発揮がなされるようにしていきましょう!

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