見慣れているものの中に、大事で必要なものが含まれている。

どれほどに素晴らしい景色も、繰り返し見ることになれば、その状態が普通になりますよね。時間とともに、当初の新鮮さはなくなります。

慣れるということは、そういうことです。

皆がうらやましがる立場になっても、かつての自分が心から望んだ環境を手に入れても、達成してしまえば、自分にとっての日常にとけこんで、やはり新鮮さはなくなり、刺激を感じさせてはくれなくなります。

人生において、新鮮さという「刺激」は、ときには必要で効果的で、前に進むための後押しになったり、目的意識を支えたりします。

しかし、刺激は「ときどき」だから良いのであって、いつも刺激を得るとしたら、常に新しいもいのを求め続けて入れ換え続けることとなり、いつまでも安定しないまま、忙しないままとなります。

見慣れている、周囲の普通の事柄の中に、(刺激はなくても)自分にとって必要で役立つものが、いろいろあるはずなのですよね。

そういう意識になって見渡してみれば、たくさんの価値に気づくことができるでしょう。

意識的になっていないと、見慣れているものの価値は、気づきにくいです。

今日という一日のうちのどこかで、少しの時間をとって、周囲の事柄の中から、素晴らしいものをみつけてみてはどうでしょう。

その行為は、きっと、あなたを幸せな気分で満たすでしょう。

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