最近の記事でよくとりあげていることですが、
相手に対する「思いのエネルギ-」は、動きの方向性をもち、その一部分が、相手のところへ届きます。
たくさんの人から、関心を向けられたり、好意的に思われたりするなら、それだけたくさんのエネルギーが、自分のところへ集まってくることになりますよね。
人気者になる=人々の関心や好意の対象になる、ということは、
常に他者からの「思いのエネルギーが、自分へと向けられる」ということです。
これは、エネルギーに敏感な人にとっては、何か集中しにくいような・・・、気が散るような・・・、そういう感覚が出てきてしまうこともあると思います。
向けられる思いの大部分は、好意的で、肯定的なものであり、
ありがたく、プラスになることも多いとしても、
自分の周囲に、複数の人からの思いがのったエネルギーが常にあり、それらのベクトルは自分に向いているとなれば、わずらわしさも出てきてしまうと思われます。
「人気者になりたい」「たくさんの人から関心を向けられたい」と願う人は、多いけれど、
人気者になるということは、そうしたエネルギーを引き受けていくこと、
その状態が日常になる、ということです。
それらを引き受けて、自分の力にしていける「度量の大きさ」が必要で、ある種の「鈍さ」も必要かもしれません。言い換えると、それは「強さ」でもあるでしょう。
少々のことに動じない、受け入れていけて、それすら自分が進む力へと変えていけるような、強さ、
それが、人を惹きつける力にもなっていて、
だからこそ、人の関心や好意、あこがれが、集まるのだろうと思います。
「人気者になりたい」と願う人がいて、そのために何をすればいいかととりくみの糸口をさがすなら、
自分の中にある強さを、探してみてはどうでしょう。
いろいろありますよね、意思の強さだったり、芯の強さだったり。
コメント
人から好かれることが、煩わしいと感じることがあって、ありがたいことなのに、なぜなんだろうと不思議でした。
強さがもう少し欲しいなぁ。と思います。
2つのパターンがあり、
1:「人から好かれるたい」のに、「実際に好かれるとわずらわしい」のか、
2:「そもそも、人から好かれたいとはあまり思っていない」ので、「好かれることが(求めていないので)わずらわしい」のか、
この点がどちらなのかということも、関係してくると思います。
1に該当して、好かれたいのにわずらわしい、となるなら、
エネルギーの敏感さが、関係している可能性はありますね。
自分の中の強さを、探していくといいと思います。
人からの好意や関心ほんとにありがたいことなのに、放っておいて欲しいと思う自分がいて、エネルギーの敏感さとそれを引き受ける強さが必要ということを知り納得です。人としての器や優しさ、それらを身につけ、想いのエネルギーを引き受け自分の糧にできるような、、気づかなくてはいけない時期にきたということなのかなと。
放っておいてほしい、とまで思うなら、エネルギー云々の前に、
人から好かれること自体を、それほど望んでいないか、好んでいない、ということかもしれませんね。
何を好むかという、価値基準は、人それぞれ違いますから、評価されることや関心をもたれることを望む人ばかりではないので。
しかし、「自分がそれを好きではなくても、そういう立場に押し出されていき(周囲から求められる)、そういう立場になる学びをもっている(気持ちとは別に)」という場合もあります。
そういう学びをもっていれば、そういう状況に何度でも置かれるようになって、気づかされる、ということはありますね。そういうケースならば、おっしゃるとおりで、気づく時期なのかもしれません。