大部分の人が、「自分のことを、よくわかっていない」ものです。自分と他人なら、比較から認識がしやすいですが、自分と自分には距離がないので、わかりにくいです。
そのため、「自分に備わっている、得意なこと」についても、自覚していなかったり、わかっている場合でもかなりの過小評価になっていたり、ときには、得意なことは何もないと思い込みをしているケースもみられます。
「自分では把握しにくい、得意なこと」は、「自分的には、普通だと思っている事柄の中」に、含まれている場合があります。
普通、と思っていることの中に、得意なことがあるというのは、意外かもしれませんね。自信があるところ、誇りたくなるようなところに、得意があるのでは?という考え方になりがちだと思います。
ですが、自分からすると、「手慣れていて、うまくできること」は、あまりに普通で、特に何も感慨もなく達成感もない、という程度の認識となります。普通に「できてしまう」ので。
自分に備わっている得意なことのうち、大部分は、自分からするとあまりに普通で、「自分は、これが得意な事柄なんだなーと、しみじみ思うような認識には、なりにくい」のです。
他の人が、相応の労力なり時間なりを掛けてできることを、自分は「普通に」できてしまうからこそ、「他者よりも上手」という位置にいられ、それが得意ということなので。
自分でも自覚している、得意なことというのは、「いかにもそうとわかりやすい」事柄のみで、全体のうちのごく一部です。
得意なことの大部分は、あまりに普通にできることの中に含まれているため、何かきっかけがないと、なかなか気づくことができません。
知らないことは、無意識に発揮されることはあっても、意図した使い方ができませんから、それでは、活用する機会が限定されてしまいます。
知っておけば、意図的な活用の機会が増えていきます。
ですから、是非、「自分では普通と思っていることの中から、実は得意であること」を探してみましょう(^o^)!
・・・と、私はよくお伝えするのですが、
なぜか、この解釈を、違うふうにとらえてしまう方がすごく多くて、「では、私的には「できない」と思っていることの中にも、得意なことがあるかもしれないのですね!」という反応をされてしまうことがあります。
しかし、「できないことの中から」だと、「苦手の中から、得意を探す」ことになってしまいます(^_^;)。
ここを間違えないようにしましょう。
「普通の中から、得意を探す」です。
たとえば、私は、ご相談者さんたちから、このブログで使用している画像が「キレイでとてもいい。センスがいい」と言っていだだけることがよくあります。「○○という意図があって、あの画像をつかったのですか?」と聞かれることもあります。
しかし、私としては、そのときにいいと思ったものを購入して載せているだけで、深く考えたセレクトではないのです。
自分で撮影した画像ではないため、センスということも、あまり意識したこてゃないのですが、複数の人から言われるということは、私が選んでいるものは、キレイな画像という印象を与えるものが多いのでしょう。
ならば、この「画像の選び方や、見つけ方」も、私の得意なことのひとつなのでしょうね。
しかし、私にとっては、いたって普通の、特に思い入れも感慨もなく、得意とも苦手とも意識したことがなかったことです。
そういうことが「普通の中から、得意を探す」ということ(の、一例)です。
自分では、普通すぎてわかりにくいことは、(私のケースもそうであるように)他者が、教えてくれることも多いですね。
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