借りをつくったら、その分、お返しをすればいい。

他人からの親切を、「受けとることが怖い」という感覚になりやすい人がいます。

相手が申し出てくれたということは、自分を気にしてもらえているということですから、それはとてもありがたく、実際に手を貸してもらえたらとても助かるという事実があっても、怖れによる抵抗感が、受けとることを難しくしてしまいます。

自分が受けとること、してもらうことは、少なからず相手に負担を掛けますよね。相手が気にしていないとしても、実際のところ何からの負担は発生しますから。

「自分が相手に負担を与えると、相手に申しわけないと気になってしまう」人は、自分ひとりで頑張ることの大変さのほうが楽で、受けとることのほうが苦しくなります。気持ちの上での抵抗感が大きいのです。

こういうケースでは、以下のように考えてみてはどうでしょう。

すべての人は、この世を生きていく中で、必ず、何かの形で他人の力を借りながら生きていくことになります。

たとえば、衣食住の環境にしても、それらが自分の手元に届くまでの中間的な作業もふくめれば、相当の部分で、他人の力に助けられながら過ごしています。

そうした「他力」を、借りだととらえるならば、無意識の部分も含めて、相当に借りをつくって過ごすことになりますよね。

ということは、借りを作らないようにと、なるべく自力で、親切も受けとらずに過ごしたとしても、・・・それは、自分がこの世で過ごしていく中で、自然と付くってしまう借り(関わりができる他力など)のうちの、100が、95になる程度のもので、あまり変わらないという可能性もあります。

生きている以上、借りは作られてしまうものです。

他力を、借りとするなら、ということですけれども。

ならば、借りをつくることを避けようと頑なになるよりも、「借りて、返す」=「借りるけど、ちゃんと返す」という考え方のほうが、お互いのやりとりを停滞させることなく、スムーズな流れが作られていくように思います。

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