自分は、他人の目からどのように見られているのか、低く見られているのではないか、こんな行動をとったら、相手はどんな印象をもつだろう、というふうに、常に、他人からの自分への視線が、気になってしまう人がいます。
そのことで、自分を律して高めて行けるならメリットなのですが、気にしすぎて、常に緊張していたり、周囲に合わせすぎたりと、消耗してしまうなら、そのバランスは正していくことが大事です。
こうした、「他人が、自分をどう見ているかが気になる人」は、「その人自身が、他人のことをよく見ている人」であることがほとんどです。
誰もが、自分の考え方や認識のしかたは、「一般的」「普通」と思っているものなので、皆も自分と同じ度合いで、他人を気にしているはずだという前提でとらえていて、
(相手からみた、他人である)自分自身が、どのような印象になっているかが、とっても気になってしまうのです。
自分がこんなにも、他人のことを気にしてよく見ているように、おそらく、皆も同じように、他人を気にして、よく見ているはずだ。(その人からみた他人である)自分自身は、どのように見えているのだろう、ということが、とても気になるし、とても心配になります。
しかし、実際には、他人を気にする度合いは、人それぞれです。
同じようにとても気にしている人もいれば、ほとんど気にしてない人もいて、平均をとるならば、「あまり気にしていない人のほうが多い」かもしれませんね。
そのような認識をもって、力みを緩めていけたらいいのですが、
頭ではわかってはいても、やっぱり気になってしまうことと思います。
そういうときは、「自分と同じタイプの、他人をよく見ている人からの印象のみ、気を配っていき、あとはちょっと力を抜いてみよう」というふうに、わけてとらえてみてはどうでしょう。
自分と同じように、他人を細かく気にしているタイプは、きっと、似たような雰囲気なり、言動なりがあり、なんとなく分かるものではないでしょうか。
そういう人達に対しては、これまで通り(自分が納得できるように)意識するなり、言動に気を配るなどしていき、それ以外の人は、自分が思うほどには気にされていないものだと認識を緩めていくことにして、
気にする度合いを、半分くらいにできたらちょうどいいと思います。
このタイプの人は、「実際には存在していない他人からの目線」で、自分に縛りをかけて、ストレスを作り出しています。
このことに気づいて、自分を楽にしていきましょう。
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