行動をするという経験が、自分の器を深くする。

行動を起こすということは、その分の労力が掛かります。時間も掛かりますし、金銭が消費されることもあります。

自分の行動に、他人をつきあわせれば、他人のそれらをも消費させてしまう場合もあります。

手間も掛かるし、面倒だし。お金も掛かる、他人に気も使う。それなのに、想定していた結果にならずにがっかり、という場合もありますよね。

けれど、そうして、たくさんの要素を費やしてでも、得る価値があるのが「経験をしたという事実」です。

たとえ、想定していたような結果にはならなくても、そのプロセスをとおして、経験をした事柄は、この先、失われることがない、価値のある財産です。

仮に、「こんな結果なら、動かなければよかった」という印象になる経験だとしても、それがあるからこそ「次こそは、もっと準備をして絶対にうまくやろう!」と、やる気に繋がることもあるでしょうし、「次は、この点をもっと変えてみよう」と、改良点を見つけられることもあるでしょう。

知識として情報を得るだけでは、わからないことはたくさんあります。

実際の経験を通して、知識を、知恵に変えていくことができます。

自分の感性という器が、深くなっていきます。

結果だけでははかれない、それ以上の、大きく深い価値が、「行動をするという経験」には含まれています。

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