天分とか、分相応という言葉につかわれる「分」とは、与えられた部分とか、わけまえとか、なすべきつとめ、などの意味をもちます。
この世の人生とは、「与えられた「分」を生きる時間」でもありますね。
備えてきた性質や能力を発揮して、なすべきことをしていき、「分」を生きるようになっている。
日常の中で、「こんなことをするのは面倒だな」とか、「いつまで、同じ状況が続いてしまうのだろう」と嫌になることはたくさんあるけれど、それが、与えられた「分」と考えれば、認識は変わっていくのではないでしょうか。
やるべきことは、やるようになっていて、
なすべきつとめは、はたすようになっている、
そうして、「自分」という人生の時間が構成されていると、とらえていけば、
やるべきことは、「やろう」と思え、
なすべきつとめは、「はたしていこう」と、
意欲的な姿勢で、与えられた分を生きることが、できるようになると思います。
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