この人生の学びは、導かれ、まもられている。

私たちには、この人生の学びを、見守り導く役割をしている「守護霊」とよばれるスピリットがいます。

守護霊が与えてくれるのは、私たちが自力を発揮して、この人生を力強く進んでいけるようにするサポートです。

「守護霊」という言葉の中に、「まもる」という文字が、二つも入っていますから、ものすごーく守ってくれるようなイメージをもってしまい、

困難に直面することを防ぎ、不快な状況を遠ざけてくれるような力添えを、つい期待したくなりますが、

守護霊がまもっているものは、そうした表面的な出来事を防ぐことではなくて、「この人生という学びが、しっかりと進んでいくこと」です。

もちろん、わざわざ困難を経験したい人はいないでしょうし、不快な状況には関わりたくないと思うのは自然なことです。

ですから、そういう気持ちもってはいけないとか、立ち向かうべきとかではなくて、

そう思うなら「そうなるための努力を、自分でしていくこと」が、私たちに与えられている学びである、ということなのです。

事前の準備をしっかりするとか、不快な状況に巻き込まれないような判断をするとか、自分を不利にしない動き、守るための動きは工夫することができますよね。

そうした頑張りには、サポートを与えてくれるでしょう。

困難や、嫌なことから、盾のようになってくれるまもりではないけれど、

必要な学びができる状況が整っていくということは、そういう形で「まもられている」ということなのです。

自分で判断し、行動した「つもり」のことも、実は、守護霊の働きかけが含まれていて、気づかされて、助けられていることもあるでしょう。

自分と守護霊は、たましいの領域で深く繋がっていますから、

人生のどの瞬間も、私たちの意識の先には、明るい「導きの光」が灯されて、進むべき道を進んでいけるように、まもられているのですね。

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