地震の直後に停電となり、丸一日以上、電気がない生活をはさんだからか、それとも夜中の地震発生から緊張感の持続で、昼夜の感覚が乱れたためなのか、
自分の中で、時間と日にちの経過の感覚が、よくわからなくなっています。
何か、ふわふわしているような、ぼーっとしているような。
あれ、今日って、地震から何日が過ぎたのだったかな、と、改めて考えてないとわからないくらいです。
しかし、決して安心しているのではなく、落ち着いているのとも違う、なんとも表現しにくい感覚です。
テレビのニュースで、今日から、札幌市のゴミ収集が通常の動きで開始されると知りました。
7日は、収集車の燃料が確保できないということで、収集が中止になっていまして、こんなに早く、通常のペースに戻って動いてもらえるということは、本当にありがたいです。
そんなに大きな揺れが続いた状態ではないので、物が壊れた等のゴミはないのですが、停電によって冷蔵庫内の食べ物はほとんどダメになったので、そちらのゴミがかなりありましたので助かりました。
そのことは、本当にありがたい、助かるという気持ちはあるけれど、
そのことと、地震という出来事が、どうもうまく自分の中で結びつけた解釈の感覚にならないというか・・・、
そもそもどうしてこうなっているかということを、もちろん頭の中での理屈としてはわかるけれど、感覚がついていかないような、
なにかふわふわした状態になるのは、これは「疲れている」ということなのかもしれません。
一昨日は、スーパーで食べ物を買うことができました。野菜、肉、魚などの、原料に近いものはたくさんありましたが、加工が必要なものは並んでいませんでした。
昨日は、某コンビニで、卵を買うことができました。
買い物をするつもりはなく、たまたまふらっと入ってみたら、卵がたくさん並んでいまして、昨日のスーパーにはひとつもなかったので、それがコンビニにこんなにたくさんあるなんて意外だなと思い、
近くにいたスタッフの方に「卵、すごいたくさんあるのですね」とお聞きしてみたところ
「なんか、卵がいっぱい入ってきたんですよね」
「近くの○○店は、納豆がいっぱい入ってきているみたいです」
という答えだったので、なんだか和みました笑。
中央区なので、周囲はそれほど民家ばかりでもない環境です。それでも、今の品薄の現状ならば、どちらの商品もすぐに捌けるでしょうけれど、
お客さんたちはきっと、「え、ここでこんなに卵?」と、私と同じ疑問になるかもしれないですね。
コメント
スピ記事ファンで読者です。
わかりやすく素敵な画像に癒されています。
そう、札幌発でしたね。
「停電が復旧 ゴミ回収」等の記事に生活している普通の人なんだと改めて思いました。
ライフラインが寸断され大変だったでしょう。
復旧と心の疲れが回復することを祈っています。
札幌は、ごく一部地域をのぞき、停電が大きな被害で、あとは特には影響がなかったです。
余震も大きいものはありませんでしたし、
水道も、止まっているのは、マンションが電動のくみ上げになっている設備だけ(つまり電気の問題)で、
私のところは大丈夫でしたので。
日常の生活が、これほどまでに電気と関連していることに気づかされて
それはもう、いろいろな意味で学ばされたなという思いでおります。