9月6日の、北海道胆振東部地震から一ヶ月以上が経ちました。
その前後にも、全国各地で大雨やら台風やらの被害がでていて、今年は本当に自然災害が多いことに驚かされます。
国外も、インドネシアで大きな地震がありましたね。地震直後に報じられた、なくなられた方の数は、数十人くらいと出ていたように記憶しているのですが、時間とともに桁が大きくなっていき、大変な被害になっているようです。
そうしたニュースをいろいろ見ることで、日本という国は、世の中の「しくみ」が整っていること、とても恵まれた環境で私たちは過ごしていることに、改めて気づかされた思いでした。
大きな災害があっても、必ず救助がやってくる。そのことを、疑いなく信じていられるしくみが整っていることは、これは素晴らしいことなんだと、改めて気づきました。
私は、外国にいくことなどまずないですが、もしも外国で災害にあったとしたらと考えてみると、何がどうなるものか想像がつかないです。現地の被災された方達だけでも大変な状況になっていることからすれば、相当な混乱になりそうな気がします。
けれど、日本国内でなら、外国人旅行者の方だけが困るようなことにはならず、救助もなされるでしょう。そういう心配をしないでいられる環境が自国にあるということは、これはすごいことなんだな、と。
私たちは、こうした恵まれていることに慣れすぎていて、
これらを、当たり前と思っているところがあるけれど、
何をひとつとっても、前もって準備したり、システムを整えたりしているたくさんの人がいること、それらが構築されるまでの歴史があることを、忘れてはいけないなと思いました。
スピリチュアル的にいえば、この人生とは、たましいの学びという目的があり、この世は学ぶための場所で、「誰もがそれぞれ、学びの目的に見合った環境を選んで、この世にやってきている」というしくみがあります。
この世が、学ぶための場所、学校であるとすれば、「現代の日本という恵まれた環境に生まれてきている私たちは、相当に校風のいい学校で勉強している立場である」と、ご相談者さまに説明することがあるのですが、
私自身も、改めて、そのことを深く考えさせられました。
恵まれているこの環境に、ただ安住するのではなく、「この環境だからこそわかることをいかし、できることをあらわしていく」生き方をしたいものだとも、思いました。
この気づきを忘れないでいたいと思います。
コメント
非現実的な話なので、あくまで個人的な解釈なのですが、
昨今、北海道に住んで地震を体験して感じることは、
地球のエネルギー(波動)が高くなっているのではないか?という所です。
地球の波動(エネルギー)が高くなることで、連動して自分の波動(エネルギー)も
高くなっていることを最近感じます。
今まで水没していたような土地が、突如あらわれて、土地の輪郭が見え始める
ように、自分の波動が高くなることで、全く感じたこともなかった、自分の
魂の設計図のようなものがぼんやり見えたり、それと同時にカルマが浮き上がって
来るのを感じたり。
(自分のカルマはあくまでイメージに過ぎないので、全面的に否定する気持ちはありますが、これを忘れることができません)
そして、その土地土地で地震を何度も体験し、また地震を通して年を重ねるごとに、
自分自身の中で直感的に”分かる”ことも増えたように感じます。
あくまでぼんやりとなので、明確さはないのですが、勝手に自分の波動が上がって
しまう状態なので、戸惑う状況の人も他にいるのではないかと思います。
(地球のエネルギーと波長が合うような人は特にでしょうか?)
このまま地球の波動が一方的に高くなってしまうと、魂レベルで2つに分かれて
しまうのではないかと感じます。(これはあくまで自分の解釈ですが)
例としてあげると、
①霊格は高いが、地球の波動となじめず、波動が低いままの状態の人
②霊格は低いのに、地球の波動が上がってしまい、それと共に波動が高まっていく人
”来世もきっと”と考えていたとしても、地球の霊格に合わなくなった
魂は今後(来世?)どうなっていくのでしょうか?
(もしかしたら今世が最後で守護霊として見守るという形はあるかもしれません)
あくまで個人的解釈で、またスピリチュアリズムに反した内容もあるかもしれません。
※地球の霊格に合わなくなった魂とはどういった魂なのか?書いておいて
自分でもよく分からないので、無責任なことを書いて本当に申し訳ありません。
みどり雲さま
>昨今、北海道に住んで地震を体験して感じることは、
>地球のエネルギー(波動)が高くなっているのではないか?という所です。
スピリチュアルな意味での、波長・波動という表現は
目に見えないエネルギーレベルでの振動のことであり、
人の感覚で体感するような、物理的な動きとしての振動とは
別次元のものであることは、ご理解なさっていらっしゃいますか。
>地球の波動(エネルギー)が高くなることで、連動して自分の波動(エネルギー)も
>高くなっていることを最近感じます。
この記載を拝見すると、「地球の波動が高くなること」と「地震という現象」が
あなたの中ではつながりをもつという認識なのですね。
その前提で解釈なさるのは、あなた様個人の解釈としてはご自由だと思いますが、
私からすると、
なぜ「エネルギーレベルでの波長(という振動)」と「地震という物理現象」を
そこまで繋げてとらえてしまうのかが、どうもよくわかりません。。。
>今まで水没していたような土地が、突如あらわれて、土地の輪郭が見え始める
>ように、自分の波動が高くなることで、全く感じたこともなかった、自分の
>魂の設計図のようなものがぼんやり見えたり
確かに、人は皆、人生という時間をかけて成長していき、
以前には気づかなかったことが、ある時点からは気づくようになったり、
自分の中から何かが持ち上がってくるかのように、内包していたものが表面化することはあります。
ですが、それは、あらゆる出来事をきっかけとして起こることであり、
地震という物理現象の振動でしか、起こらないものではないです。
地震をまったく経験していない人にも起こりますし、
地震以外の、心の動きや、経験という事柄のもつエネルギーの振動からでも、
人間関係を通して得られるエネルギーの振動からでも、いろいろなことから起こりますよ。
あなた様の場合、たまたま、地震という経験を通してそうなったというのであれば、
その個人的な解釈を否定するものではありませんが、
皆が一律、地震という経験から、そうした気づきを得るわけではないです。
むしろ、それ以外の経験から、成長していくケースが大部分といえるでしょう。
ですので、
>しまう状態なので、戸惑う状況の人も他にいるのではないかと思います。
>(地球のエネルギーと波長が合うような人は特にでしょうか?)
このような心配は不要だと思います。
>例としてあげると、
>①霊格は高いが、地球の波動となじめず、波動が低いままの状態の人
>②霊格は低いのに、地球の波動が上がってしまい、それと共に波動が高まっていく人
スピリチュアルな意味での、波長、波動というのは、
その時々の、コンディション(状態)の上下ではありません。
生まれてくるときに、本質として備えてくる「エネルギーの質」のことです。
「自分自身が、エネルギーとして振動することができる幅」であり、
「外の要素を、エネルギーレベルで共鳴や同調ができる幅」のことです。
霊格が高いということは、波長が高い、ということです。
「霊格が高く、波長も高いけれど、たまたまその時点での経験から、備えている高い上限をあらわしきれない」状況になる人は確かにいます。
そういうことを、①で表現しているのでしょうか。
そうであれば、「備えているものは高いのに、その高さをあらわしきれない」ケースはあり得ると思いますが、しかしそれは「波長が低い人」という括りにはならないと思います。
そして②の「霊格が低いのに、何かの外側の要因で、波長が高くなってしまう人」
というのはありえませんね。
生まれた時点で備えている振動の幅とは、本質ともいえる特性であり、
その幅以上のことが、地球の変化によって大きくなされるようなことにはならないからです。
>”来世もきっと”と考えていたとしても、地球の霊格に合わなくなった
>魂は今後(来世?)どうなっていくのでしょうか?
来世以降の生まれ変わりに関連するのは、
「たましいの経験値」=「たましいレベルでの条件」なので、
たとえばあなたや私が、この人生のある時点で「自分の来世がもし○○で・・・」と考える
一時的な感情や思考が、そのまま反映するしくみではありません。
いただいたコメントの全体を拝見してみて思うのは、
どのような解釈をお持ちになるのも個人の自由ですので、
あなた様の解釈や見解を否定するつもりはないですが、
しかしながら拝見する限りでは、
「連動」という概念が、あなたの中で強いものがあるようで、それゆえに
「なんでも連動させてとらえすぎ」のように思います。
スピリチュアリズムの解釈をベースに、連動ということを理解するなら、
スピリチュアリズムそのものの、知識を付けることをお勧めします。
そこがあやふやなまま、解釈を乗せてしまうと、
ご自身がおっしゃるように「書いておいて自分でもよく分からない」
となってしまうのだと思います。
このコメントが、ご質問なのか、ご意見なのかも、計りかねるところがあり、
私が回答(を一応したつもり)をした内容が、
もしかしたら不要なものだったかもしれませんけれど、
もし、みどり雲様が、
スピリチュアリズムに関心をお持ちなのでしたら、
まずは基本的な知識を身につけられて、
その上で、ご自身の解釈を重ねていくようになさるのがよいと思います。
すいません。素人なのでお手柔らかにお願いします。
どうも、
人が持つ波長・波動(エネルギー)と,地球の波動(エネルギー)を同一視してませんか?
自分のつたない文章が誤解を招いてしまっているので申し訳ありません。
>波長、波動というのは、
>「自分自身が、エネルギーとして振動することができる幅」であり、
>「外の要素を、エネルギーレベルで共鳴や同調ができる幅」のことです。
まさに自分が感じている「外の要素」とは地球のエネルギーであり、その
高い振動の結果、地震が起きているという認識でいます。
前回のコメントを書いた後、あれ、これって”アセンション”じゃなかったっけ?
と思い出したくらい、スピリチュアルな世界では広く知られた世界観だと思いました。
>戸惑う状況の人も他にいるのではないかと思います。
>(地球のエネルギーと波長が合うような人は特にでしょうか?)
なので、多分上記のような表現を使ったのだと思います。
(アセンションに関して興味はありません。10年前にネットで見た記憶ぐらいです)
①霊格は高いが、地球の波動となじめず、波動が低いままの状態の人
②霊格は低いのに、地球の波動が上がってしまい、それと共に波動が高まっていく人
以下訂正します。
①人としての霊格が高く、波長も高いけれど、地球の高いエネルギーとなじめず、地球の高い振動を「エネルギーレベルで共鳴や同調ができる幅」を持っていない人
②人としての霊格が低く、波長も低いけれど、地球の高い振動を「エネルギーレベルで共鳴や同調ができる幅」を持っている人
人を霊としてとらえるなら、地球も同じように霊としてとらえて良いのかなと思い、
地球(霊格)という表現を使いました。なので、人の霊と同じように、地球の波長・波動が大きく変わってしまったら、同じ波長・波動でいられない人の魂はどうなるのだろう?という単純な疑問です。
>人が持つ波長・波動(エネルギー)と,地球の波動(エネルギー)を同一視してませんか?
人がもつエネルギーレベルの波長と、その他のエネルギーレベルでの波長は、
同じではない前提で書いています。
人のほうは「肉体という器に制限されている限定的な波長」であるので
自分以外の外側にある波長という、もっと大きいの「全容」をとらえることはできず、
外側にどれほど大きなものがあろうとも、
そこから「人」が何かを体感したり、作用を得たりできるのは、
「人がもっている波長の幅の内輪でしかない」ことは、
以前の、別記事でのコメントでもお伝えしたと思います。
たとえば、山田さんという人の波長が「5~15」という幅であれば、
仮に、地球という場所の波長が「0~50」という壮大なものでも、
山田さんが体感したり、作用をうけたりすることができるのは、
「5~15」という山田さん自身がもっている範囲になるというふうに、
何かの外の要素に人が作用されるとしたら、
という方向から、解釈と解説をした記載になっているだけで、
その二つを混ぜて書いているつもりは、私のほうにはありません。
その前提で、数値におきかえると、
あなたが当初におっしゃっていたような、地球の波長がとても高くなって、
備えているうちの「~50」に近いほうをあらわすような時期があったとしても、
山田さんの波長の幅内のうちで、「~15」の上限に近いほうをあらわすための
底上げの力になることはあるとしても
(そのことを連動とおっしゃっているのだと解釈しました)
本来の山田さんがもつ、「~15」が
(いくら外側にある要素の波長が、持ち上がったとしても、そのことに作用されて)
大幅に変わってしまい「~30」になったりすることはなく、
外にある波長がどれほどに壮大で、高いものでも、
または、ある時期に変化が起こって高くなったとしても、
その高まりに比例して、人がどこまでも高く持ち上がってしまう・・・とはならず、
その人がもつ範囲の中での高まりに落ち着くということです。
人に限定せず、波長という振動は、エネルギーの「質そのもの」ですから、
波長が大きく上がるというのは質そのものが変わるようなもので、
外の要素によって、まったく元の質が変わるというのは考えにくいことだからです。
重ねて申し上げますが、
あなた様の見解を否定するつもりはないですし、私の見解が正しいというつもりもないです。
どのような見解をお持ちになるのも、それぞれ、自分の「世界観」があります。
ですが、このブログは「私という一個人が運営している場所」ですから、
必ずしも、ご覧になる方の全員に当てはまる内容ではないことも、
知りたいことが書かれていない場合もあると思います。
そういうときは、どうぞご自身の労力で、知りたいことをお調べになるなり、
または、この人生というご自身の経験の中で、答えを見つけていかれてください。
ブログのサイドバーに記載しているとおりで、
コメントでご質問をいただいた場合の、こちらの対応は、
「一般的なこと」に対する「簡易なもの」とさせていただいています。
何が正しいという正解はありません。
形をもたない、見えない領域のことであり、
それを、言葉という限定されたもので語るのは難しく、
またひとつの言葉も、とらえ方でいろいろに解釈も広がりますから、
それぞれの見解、世界観が存在すると思います。
それは否定されるものではない、尊重されるべきものです。
しかしながら、私ができることには限りがあり、
いただいたコメントは、私がその該当記事内に書いた内容をベースに、
そこから派生して出てきた質問であると解釈して
その前提で、私のわかる範囲で回答をさせていただくだけですので、
それ以上の、コメント主さまの世界観の全部を反映させたものにはならないことは
ご理解ください。