思考や行動を変えたいのに、変えられないのは?

先日のこちらの記事のとおり、人の個性、性質とは、たとえるならば「布」や「紙」の、種類や材質のように、それぞれの特徴の違いがあります。

生まれ持って備えてくる、たましいの性質の違い。
人は何度も生まれ変わって、たましいの学びを続けていて、今回の人生以前の経験値のことを「前世」といいます。 前世での経験値は、たましいの大元である「グループソウル」という領...

個性や性質は、ほとんどが生まれ持ったものなので、一生を通じてそれほど変わらないですが、思考や行動という「行いのしかた」は、自分の意図の力で変えていくことができる部分です。

ですが、変えることは簡単ではないですよね。

それは、つい同じように考えてしまうとか、つい同じことをくり返してしまうという「思考のパターン」「行動のパターン」が、自分の中に根づいているからです。

たとえば、完璧にやらないと気がすまないとか、周囲の人が自分の悪口をいっているのでは疑ってしまうとか、気に入った物は色違いで集めてしまうというような

行いのパターンとは、自分という布や紙についた「折り目」のようなものです

一度ついた折り目の「あと」は、再びの折り目が「つきやすい」です。

何度もくり返されると、折り目がある状態が普通となり、自分の行いのパターンがつくられます。

たとえば、折り紙を半分におって、そこに砂をのせたとしたら、真ん中のくぼみに砂は集まりますよね。集まれば重さが生じて、左右のどちらか傾いたほうに流れて動いていきます。

そのように、折り目にはエネルギーがあつまっていき、集まることで通り道がつくられて動いていくので、同じ行いが無意識レベルもふくめて、自然な反応のようにあらわれてしまうのです。

自分的には、そのつど考えて動きを決めているように思っているけれど、実際には、こうした(既についている)自分の「折り目=クセ」によって、

決まったパターンの行いを「くり返してしまう」ケースは多いので、

それが「変えたいのに、変わることができない」とか、「気持ちはあるのに、続かない」とか、いつもの思考と行動のパターンに負けてしまう理由でもあります。

布が、絹であるか、木綿であるか、

紙が、和紙であるか、画用紙であるか、

それぞれの質がもつ特徴により、折り目のつきやすさにも違いがありますよね。

そうした、自分が元々もっている性質との兼ね合いによっても、パターン化しやすい、または、しにくいという違いもあらわれていきます。

あまり肯定的ではない思考パターンは、「思いグセ」になったり、「思い込み(のしやすさ)」になって、認識を歪ませてしまうこともあります。

肯定的な行動パターンがつけば、それは自分にとって望ましい「生活習慣」「行動習慣」となって、自分を前進させていく力となるでしょう。

こうした折り目は、その人の個性でもあり、行動の動機にもなりますから、折り目をなくそうとしなくていいのです。

肯定的ではない折り目の流れに負けないように、バランスをとればいいのだから、

肯定的なパターンのほうを、たくさん自分に刻んでいけばいいですよね。

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