苦労が、苦労でなくなるときは。

とても大変な思いをして頑張って行動をしているときに、苦しくなるのは「なぜ私が、これをやらなければならないのか」とか、「このことが何になるの」かという「迷い」「疑問」があるためで、

はっきりとした目的がないとき、何のためにそれをしているのかがわからないとき、負担が大きい作業は、苦労や苦痛と認識されます。

目的をもった動きは、苦しさに、楽しさも伴う。

つまり、はっきりした目的意識をもっていられたら、大変な作業であってもそれを苦痛とは認識しないものではないでしょうか

私は、週に何回かはスポーツクラブにいって筋トレをするようにしています。トレーニングは、自分に負荷を掛けることですから楽ではないです。

けれど、「なぜこれをやらなければならないか」とか、「何になるのか」という迷いや疑問はないので、面倒ではあるけれど苦痛の作業にはなりません。

自分から望んでやっているのだし、鍛えるためにやっているのだから、目的ははっきりしているからでしょうね。

筋トレをすれば、筋肉痛になります。ですがこれは「トレーニングが効いている証拠」なので、これを苦痛とは思いません。むしろ「やった!効果があった!」という手ごたえとなります。

同じだけの負荷が掛かっても、目的がわからず迷いがあれば苦痛となり、目的がはっきりしていれば筋肉痛のような手ごたえになるのだと思います。

その作業は何のためにしているのか、自分は何を目指して動いているのかという考え方をセットにしていくと、同じことの受け止め方は変わっていくものです。

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