すべての人には、守護霊とよばれる「導き役のスピリット」が存在していて、たましいの学びである「この人生という経験」を霊的な見地からサポートしています。
自分からは、守護霊の姿を見たり存在を確認したりすることはできませんが、
たましいの領域という内的なつながりにより、この人生のはじめからおわりまで、守護霊のサポートとともに学びが進んでいきます。
このつながりのしくみを知ると
「与えられている導きに、気づかないままスルーしたらどうなるのか?」と、心配になることがあるようですが、
結論としては、伝えられることは、伝わってきます。気づかないままで学びが止まってしまうようなことはないので、心配はいりません。
守護霊からの伝達は、内的な領域でなされる。
自分と守護霊は、たましいの領域という「内的なつながり」があるので、
必要なメッセージ性のあることは、頭の中にうかんでくる思考や、心の中にわき上がる感覚として伝えられてくることが多いです。
日々の生活の中でなされていく「自分の思考や感覚」の中に含まれるように伝わってくるので、ここからが自分の思考、ここからが守護霊の思考というふうには、はっきりとはわけられません。
守護霊が伝えてくることは、全体的なもの。
このしくみを理解すると、最初のうちは楽しくなります。
日常のいろいろな場面で「こうして自分が考えていることの中に、守護霊からのメッセージも含まれているかもしれない」という受け止め方をすることは、
いつもと違う刺激を与えてくれますし、同じことを別の側面からみる習慣がでてくるので得られるものが増えていくからです。
さらに理解が進んでいくと、今度はちょっと心配になってきます。
たとえば、自分が現実的な思考や感覚が優先し過ぎているときなど「もしかして守護霊が伝えようとしていることに気づかず、必要な情報をとりこぼしていることもあるのでは?」という考え方がでてきてしまうためです。
内的な領域でのつながりがあり、自分の思考や感覚の中に含まれて伝わるしくみですから、「これがそうだと、はっきりわからない」なら、「受けとめているかどうかも、はっきりわからない」ですからね。
けれど、守護霊から伝えられることというのは、せっかくの伝達を逃してしまって困るような、ピンポイントなことではなくて、
もっと「幅広いもの」「全体的なもの」であることが多いです。
常に繋がっているので、必要なことは伝わる。
自分と守護霊とは「この人生の、はじめからおわりまで常に」つながりをもっている関係で、必要なときだけの一時的なつながりではありません。
たとえば、伝えているのに伝わっていない状況とは「電話を掛けているのに、相手が出ない」というような、一時的なつながりです。
けれど、自分と守護霊とは「常時接続している回線」のようなつながりです。
「そのときたまたま電話に出てくれるかどうか」「電話の呼び出し音が聞こえているかどうか」で、結果が左右されるようなあやふやなものではないので、
伝えられる必要のあることは、ちゃんと受けとっているはずです。
ピンポイントの答えが与えられることは、まずない。
具体的な「この件をやりなさい」「Aという選択肢にしなさい」的なものが、守護霊から伝えられるケースはとても少ないです。
なぜなら、守護霊の導きとは「その人の自主性を尊重し、学びが進むように促す」もので、その人の判断という学びを代わって行うものではないからです。
前述のような「もしかして自分が気づかないことで、伝達をとりこぼしていることもあるのか?」という心配がでてしまう中には、
具体的な答えが伝わってきたことがないため、「これは、自分が気づいていないためでは」と思ってしまうケースもあるのかもしれませんね。
ですが、具体的な答えが伝えられるケースが「まれ」であるので、
その状態が普通だということです。
もっと幅広い、全体的な伝達が、気づかぬうちにいろいろなされているという形で、誰もがサポートを受けとっていますから大丈夫ですね。
ごくまれに、具体的な伝達がなされることも。
一般的には、守護霊から伝えられることは全体的なことですが、
人生の転換期などには、比較的はっきりとした伝達がなされることがあります。
たとえば「このような方向に進んでください」「このことはそろそろ切り換えていく時期ですよ」というように、具体的な方向性が示されるようなケースもあります。
そういうケースは、はっきりわかるように伝わってきます。
雰囲気としても、
物理的ないろいろな出来事の展開としても、
自分の内的な思考やひらめきなどを通しても、
ひとつの方向に、時間を掛けて動かされていくような流れがあり、
気づかないままになるということは考えにくいですから、
いずれにしても「伝えてきていることを、自分が気づかないままになったら?」という心配はしなくても大丈夫なので、
いつも見守られている中で、自分を信じて進んでいけばいいということです。
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