私のリーディングは、オーラや守護霊の霊視と、さらに「エネルギーを読みとる」という手法を用いて行っています。
この世にあるすべてのものごとに、固有の振動数がありますから、たとえば、
A社のエネルギー(の振動)、
Bさんとの人間関係のエネルギー、
これからの未来についてのエネルギー、
というふうに、エネルギーの振動を読みとることで、状況を解釈したり、よりよい未来のために役立つ事柄があれば、それをお伝えしたりしています。
「体感」または「わかる」センスのあらわれです。
スピリチュアルなセンスのあらわれを大きくわけると、「みえる」「きこえる」「体感する」「わかる(知覚する)」があります。
このうち「体感する」か「わかる」のどちらか発達している人が、エネルギーの振動をよみとることが上手です。私自身はわかるセンスで把握しています。
自分がより得意なセンスを、まずは把握する。
スピリチュアルなセンスは、この世に生まれる前からの「たましいの性質のあらわれ」が大きく関連するので、個性という形で得意分野はだいたい決まっているものです。
自分の好きなほうを選んで、伸ばしたり磨いたりは難しいので、
得意なほうを伸ばす、という考え方をしてください。
まずは、自分は「体感する」と「わかる」のうち、どちらがより得意であるかをつかむことですね。
こうしてざっくり区分したうちの、どちらに自分が当てはまるかをつかむことは難しくはないはずです。
体感が優れている人は、エネルギーの振動をよみとるときにも、何らかの体感を伴う把握の仕方になるでしょう。
わかる知覚が優れている人は、エネルギーの振動をよみとるときに、体感にあらわれることはまずなく、思考の中での反応という形であらわれるでしょう。
このことを覚えておきましょう。
経験値を増やしていくと、わかるようになります。
あらわれを起こすためには、ひたすら「人生の経験値を増やすこと」ですね。あらゆる経験をたくさんしていくと、比較できる要素が自分の中に蓄積されて、判断のデータベースがつくられていきます。
自分という器の中が、さまざまな経験値でいっぱいになって、
しきい値を超えたところで、器から水があふれるように、把握する力が表面にあらわれていくようになります。
複数の事柄が結びついて、これはこういうことなんだなと把握ができるようになるのです。説明だけではわかりにくいので、私自身の経験を書いてみます。
「職場を変えようとしている」ときの振動?
最近、いつもお願いしている美容師さんから、退職する旨のハガキが届きました。それからまだお会いしていないので、別の会社にうつるのか、仕事を辞めてしまうのかは伺っていません。
そういえば、直近でお会いしたときの感覚として「いつもと違うもの」があったなあと思いました。それは、一年前くらいに、私が通っているスポーツクラブのスタッフさんが退職なさる前の時期に、「いつもと違うもの」を受けとっていた「それ」と種類が同じ振動だなと思いました。
それは職場を変える予定をしている人の、エネルギーの振動、ということなのだと思います。
少し前になりますが、日本ハムにいた陽選手が、移籍する少し前の時期にも「それ」と同じエネルギーの振動がありました。
・・・というように、同じパターンを複数見つけていくことで「それ」が示すものがわかっていき、次回には「前のそれと同じだな」と見当をつけた解釈ができるということなのです。
注意ポイントがあります!
ただし、このときの注意点として、一回や二回では、たまたまということもあるので、そこで簡単に決めつけたりせず疑う意識をもつことも必要です。
あまりに少ないサンプル数から判断した共通点は、あるいは、サンプル数が増えれば確率は下がることだってありますよね。
ここが、思い込みが入りやすいところなのです。
私自身、このエネルギーの振動をとらえる感覚に、ある程度は納得ができるまでに5~6年は掛かっています。
誰もができるようになります。
把握のしくみとしては、とてもシンプルです。経験してきたことの比較ができいるようになり、それをエネルギーレベルに置き換えてとらえることができれば、誰でも把握は可能です。
その段階にいきつくまでの経験値の蓄積が、一番の「方法」なのです。
そうはいっても大部分の方は「経験値が増えたとしても、エネルギーレベルに置き換えることがそもそも難しいじゃないの」と思うでしょうが、
これは自分が意識的に「すること」ではなくて、
無意識でも「なっていくこと」なのです。
現実の勉強や仕事などでも、慣れていくほど、わかることがふえて、省けるところもでてきますよね。無意識でそうなりますね。
それと同じで、得意なことが磨かれていくと、その先の段階として、現実的なやりとりでの確認の手間が省けるようになって、
エネルギーレベルでの把握ができる部分があらわれるのです。
コメント
私自身は、このふたつだと「わかる」が強いほうではないかと思うのですが、文章を読んだときに、硬さ・・・手ごたえのようなものや、温度などを感じたりことがあるので、「わかる」に複合して「体感覚」も働いているのかな?と思いながら、拝読しました。
でも、これは思い込みか私流の得手勝手な解釈であって、リカコさんの説明されているところの「感じる」とは違うかもしれません。
自分が純粋に「感じる」が使えているなと思う時は、たとえば自分の背後に人が立っているとき、その人が私に注目していることとか、感情的に怒っていることが空気感で伝わってくる時です。このときは、背筋が痛くなったりひやっとしたりびくっとしたりします。
。。。。。。。。。。。
リカコさんでも何年もかかったとのこと。
でも、誰もができるようになりますとのことなので、自分なりにセンスを伸ばすことを生活の中のひとつの楽しみにし、意識したいと思います。
いつもブログを読ませていただきありがとうございます。
みー様
複合であるとしても、どちらがメインかというのはあって、
書かれている文章の記載からすると「わかる」のほうが強いかもしれませんね。
通常、認識しやすいのは、ダイレクトな体感がある「感じる」のほうなので、
一方、「わかる」は、思考の延長なので区分けしにくいですから、
(仮に、わかるほうが多くて、感じるほうが少ない場合でも)
どちらの比率が多いか、判別が難しい?ということかもしれませんね(^_^;)。
>自分が純粋に「感じる」が使えているなと思う時は
そうですね、把握できる範囲も、
人により、だいたい決まって(生まれもって)いますから、
「自分はどの範囲に強いか」を、過去の経験からつかんでおくことも、
センスをいかすために役立つと思います。