学んだことを、教える役割になる時期がくる。

ある事柄について学ぶというのは、自分という器の中を、知識と経験で満たしていき、そこから知恵を獲得していくことです。

これまで知らなかったことを知り、知識と経験が結びついて、わかることが増えていく学びの初期は「だんだんと器が満ちていく感覚」が楽しいものです。

学びが進んでいき、器の中がいっぱいになり、外へあふれるくらいになると、自然に意識の向かう先が変わり、今度は、自分が学んだことを「伝える」「教える」側へと移っていくことになります。

黒い翼の天使と白い鳥

知識や経験を「獲得する」目的のときは、意識が内へと向かいます。外の要素から学びを得て、自分の知恵として蓄えていくのですから「向き」はそうなりますよね。

器がいっぱいなってきて、器からあふれるくらいに知恵がたまっていくと、今度は自然と、意識が外へ向かうことになります。器からあふれるとはそういう「向き」になります。

器がいっぱいになったことは自然に、教えたくなり、伝えたくなります。誰かのために何かを教えたい、自分の時間と労力をつかってあらわしてきたいと思うのは、成長したことのあらわれでもあるのです。

自分が学ぶことは、楽しさもあるけれど、自分が教える側になることは、楽しさよりも負担のほうが大きいかもしれません。与えることは消耗しますから。

それでも、そのような方向に動いていこうと思うようになるとき、そうしたくなるときは「教える側になる準備が、自分の中で整ったとき」なのでしょう。

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