小さいころから優等生で、先生や大人に可愛がられ評価され続けた場合、その人の肯定感が増して、いつでも自信いっぱいに振る舞える・・・とはならず、逆にとても窮屈な生き方になってしまうことがあります。
なぜなら、繊細で、他人の立場などを気にするタイプの人は「自分だけが特別扱いをされることが負担になる」場合があるからです。
攻撃を避けるためのふるまいをしてしまう。
褒められたり評価されたりして抜きん出ると、それを面白く思わない人からの嫉妬や攻撃の対象になってしまうことがあります。
そういうことをする人は、どこにでもいます。
繊細な人は、これらを避けたいために、わざと天然を装ったり、実際より自分を低く見せて「私は、こんなにも普通です」と振る舞うことで自分を守ろうとします。
または、他人に気配りをする性質の人は、自分が褒められると、そうではない立場の人たちが気詰まりになるだろう、自分のせいで、そんな状況を作ってしまうのは相手に悪いからと、自分が褒められることがないように「力を出し切らない」動きをしたりします。
前者は、自分が妬みの被害者にならないようにという守りの動きで、
後者は、自分が周囲に気詰まりをさせる加害者にならないようにという、やはり守りの動きです。
こうして、怖れから、力を出さないようにふるまうことが習慣化してしまうことは、意外と多いものであるようです。
力を抑えていることが、習慣になってしまう。
被害者にも、加害者にもならないようにしようとすれば、必要以上に褒められないように、自分ばかりが抜きん出ることがないように、力を抑えた動きをあえてすることになります。
褒められるたびに、それを打ち消すように「自分は普通」であることを強調し、実際より「力を抑えよう」「低く見せよう」と振る舞っていくことがくり返されれば、
うわべの動きのはずが、いつのまにか習慣となってしまい、
いざ、自分の「本当の力」を発揮しようとしても、どうすればいいのか分からなくなってしまうことがあります。
繊細で相手に配慮する思いやりがあり、自分が目立つことにそれほど執着がない人ほど、このパターンにはまりこんでしまうものです。
当てはまる方は、以下のように考えてみましょう。
過去の怖れを、今に持ち越さないように。
子どもの世界は狭いです。その中で嫉妬の対象となることは、他に行き場がないので、繊細な気質であれば辛い経験となります。自分を守るために、普通であろうとすることは「その時点では」必要だったのでしょう。
けれども、大人になれば「学校だけ」「友達だけ」という狭い中にいるわけではないので、一部の人間関係で嫉妬があっても、他の人間関係で安心や肯定を得ることは可能です。
世の中の全員から好かれることは不可能ですから、いろいろ言う人がいたとしても「そういうもの」ととらえていき、いろいろ言われること自体を避けようと考え過ぎないことなのです。
特に、女性によくみられるケースです。
皆より常に、自分だけが秀でているという状況も、気にするタイプの人にはなかなか辛いものがあります。
こういう積み重ねで、力を出せなくなっているケースは女性にはよくみられます。女性は「横並び」のつながりで人間関係ができるので、自分が上にばかりなってしまうと、感情的な「いろいろ」が難しさをつくることがありますから。
ですが、大人になった今は、昔のような狭い場所で過ごしている状況ではないですから、今の状況にあわせたふるまいをすることですよね。
自分らしい力の出し方をして、のびのびと過ごしていきましょう。
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