人のエネルギーを、植物にわたす場合。

先日のこちらの記事のとおり、住んでいる人にエネルギーをわたす形となり、観葉植物が枯れることがあります。

観葉植物が枯れるときは。
お部屋に飾っている観葉植物が、スピリチュアルなエネルギーの関連によって枯れることがときどきあります。 こうした現象は、「部屋にいる人」と「植物」との間で、エネルギーのやり...

これは、誰にでも起こることではないようで、植物のエネルギーと波長があう人に起こりやすいようですね。経験する人は何度も経験するようです。

今回とりあげるのは、枯れるパターンと逆で「人のエネルギーを植物にわたす」形になる場合です。

葉っぱのハンモックの上に妖精

観葉植物や、家庭菜園など作物を育てるのが上手が人っていますよね。その人が手を掛けることでよく花が咲くとか、葉っぱがいきいきとしているとか。

こちらの形は「人がもつエネルギーを、植物にわたしている」ことになります。植物のエネルギーと相性がよく、手にオーラがあつまっている人にみられる現象です。

過去記事の「植物が枯れるパターン」と違い、人が植物にエネルギーをわたしたとしても、人にはマイナスのあらわれはみられません。

それにはふたつの理由があり、ひとつは、エネルギーの流れる方向です。

枯れるときは、植物 → 人 と、「一方通行」の流れですけれど、

人が手入れをするときは、人 → 植物・作物 と動いたエネルギーは、また、植物 → 人 というように「循環」していくためです。

人のほうが、エネルギーを放ったり、受けとったりという力がそれぞれ大きいので、一方的に植物にわたしておわり、という形にはならず、お互いの間をめぐることになるようですね。

もうひとつは、人が消費したエネルギーは、すぐに回復して戻るためです。

人に備わっている活力はもともと大きいですし、休むことや、眠ることで、自力で消費したエネルギーすぐに戻すことができますから、

この二つの理由によって、人が植物にエネルギーをわたしたものは、植物からエネルギーが再びめぐることと、消費したものもすぐ回復するので、お互いが元気になっていくというあらわれになるようです。

コメント

  1. すずしろ より:

    人→植物→人、というエネルギーの循環は、人(自分)→人(他者)→人(自分)でも起こりますか?
    私はマッサージの仕事をしているのですが、時折、マッサージ中にお客様の不調箇所と同じ場所に自分も痛みや重さを感じる事があります。そこを施術していると自分の痛みが取れる瞬間があり、あっ今この人の痛みも取れたな、というのが分かります。この様にエネルギーが循環しているのが分かる時と、一方的に自分が疲れる時の違いは何から来るのでしょうか?
    人同士の相性なのか、エネルギーの大きさの違いや自分のコンディションから来るものなのでしょうか?
    一方通行ではなく、いつでも循環させるコツのようなものはありますか?

    • リカコ リカコ より:

      すずしろ様

      人間関係とは、お互いのエネルギーの交流ですので、
      あらゆる人間関係において、常に,エネルギーのやりとりは発生しています。

      そうしたエネルギーのやりとりの中で、相手に関する事柄が、
      自分のオーラに伝わってきて、わかるとか、感じるというセンスをもつ方もいます。
      すずしろさんは、そういうセンスをお持ちで、
      重さを感じる(ことで相手の不調箇所などを)把握ができることがあるのでしょう。

      全部のケースでそうならないのは、
      人に備わっている、わかる・感じるセンサーとは、残念ながら「それほど高性能ではない」からです。
      これは、すずしろさんだけではなく、誰にとっても同じで「全部がわからないのが一般的」ということになります。