前世の続きを少しずつすることで、今世の学びの準備をしている。

人生のある時期(特に10代、20代などの前半のうち)に、何度もくり返し「行き止まりになる」「選びなおす」「やり直す」という状況に向かわされる人がいます。

たとえば、子どもの頃であれば、せっかく親しくなった友だちが転校することが続いたり、習い事をしている教室が閉鎖や移転になり通えなくなったり。働き出してからは、所属する部署が縮小したり、他部門に吸収されたり。

少しうまくいきだすと、不思議なくらいにそれ以上には進むことができず「行き止まり」になり、やり直しになる経験がいくつも重なるのです。

こうしたケースは「前世の回数が多い人」にときどきみられる傾向です。

何度も行き止まりになるのは、複数の前世の続きをしている。

こうしたケースは、幾つもの前世での「続き」を、少しだけしているのです。

親しくなったのに、いきなり距離ができてあえなくなった関係は、前世での人間関係の続きを、今世に「少し」持ち越しています。けれど、今世で出会うべき人間関係とは別なので、途中で距離が開いてしまいます。

とてもよい習い事の教室が見つかったのに、移転になったり、閉鎖されたりした「習い事の事柄」は、前世でも行っていた内容です。たとえば音楽の教室だったなら、前世でも音楽をたしなんでいた経験があると考えられます。

仕事の部門が縮小したり、統合されたりする会社の職種や立場は、前世でも似たような経験があることです。経験値が引きあって、今世でもその職業に向かって進むのだけれども、今世でやるべき仕事や立場とはちょっと違うので、途中でそれ以上、進めなくなります。

どれも、前世で経験していることなので、スタートからしばらくは、経験済みの優位性からスムーズな進展があり、結果を出すこともできます。

しかし、途中で「行き止まり」になり、同じことをそれ以上続けられなくなるのは、「今世ですべきことは、それとは別のことがあるから」です。

今世は今世で、すべき学びや、あらわす題材があるので、途中で方向転換をさせられるのですね。

ならば、前世の続きなどせずに、最初から今世ですべきことをストレートにしていくほうがよさそうなものですが、そうならない理由がいくつかあって、

ひとつは「前世でやり残したことを、やりきって仕舞いにするため」です。そうして状況を整理してから、新たな学びに向かっていきます。

ふたつめは「今世でなそうとしている事柄は、若いうちにはできず、ある程度の年齢がいってから行うことである」ケースです。そうなれば、若いうちは、そのことにあえて向かわないという状況が望ましいので、前世と同じことを少しだけ(この場合はやり残しとは限らない)を経験することもあるのです。

みっつめは「前世の経験が、今世ですべきことの土台になることなので、前世の経験値に刺激を与えて感覚を掘り起こす目的で、少しだけその経験をする」ケースがあります。

だいたい、この3つのうちどれか、または全部が当てはまり、前世の経験を少しずつ人生の前半に行ったのちに、中盤から後半に掛けて、今世での目的に向かっていく形になります。

前世の回数が多い人ほど、こうした「以前の学びの、やり残しが多い」ことにもなり、または「今回の人生にいかしていける、土台となる経験が多い」ことにもなるので、行き止まりになる経験の数も集まってしまうわけですね。

こういう形になるのは、前半で準備をして、後半に備えることでもあるので、10代、20代で、不思議なくらいに行き止まりになる経験をする人は、だいたい、その後の中盤以降の人生での飛躍が大きくなるようです。

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