他人が自分の背後に向かってきているときに、そのようすを視界で捉えていないのにわかることがありますよね。または、人が立ち去った後の場所に、ついさっきまで人がいたことが、わかることもあるものです。
人が近くに来たときには、その相手のオーラが自分に重なってくることを感じるのでしょうし、立ち去った後の気配を感じるのは、その場に残った、その人達が発したエネルギーを自分のオーラに重ねることで感じ取っているのでしょう。
このとき、なんとなく気配とか雰囲気があるような「気がする」という段階をこえて、「自分に何らかの刺激がくるという反応」を伴って把握がなされることがあります。
たとえば、ビリッと刺激がくるとか、チリチリと静電気のような反応が起こるとか。これは、体感という感じ方が得意であることのあらわれです。
体感覚で感じるセンスが高い人がそうなる。
すべての人には、スピリチュアルなセンスが備わっていて、大きくわけると、見える、聞こえる、わかる、感じる、などがあります。
このうちの感じるとは、エネルギーなどの目に見えない要素を、自分の体感とうい反応に結びつけて把握がなされるセンスで、
ある条件下で、そこにないものを「ビリッと刺激がくる」「圧力のような押される感覚がある」「熱を感じる」「風がふいたような涼感の刺激がある」などの感覚が生じます。
このセンスが動作することで、たとえば、ついさっきまで誰かがいた空間にいくと、そこに人が存在しているかのような、体温のような人の熱気のようなエネルギーを、自分の肌に「熱感覚」として感じるとか、
後ろから人が近づいてくると、そのようすを視覚でとらえているのでもなく、相手の声を聞いているのでもないのに、背中側から「圧」が掛かってきて、人がこちらに意識を向けて近づいてくる存在感を「押されるように」感じたりします。
自分との差異を感じわけるセンスでもある。
こうしたセンスについて、多くの方は、このような「思い込み」をしています。
エネルギーをキャッチする力が大きいために、熱いとか、ビリッとくるという、他の人が感じることがない、大きな反応になっているのだろう、と。
その認識の全部が間違っているわけではないですが、、、
感じるセンスというのは「違いをかんじわけるセンス」とも言いかえられます。
あれとこれとは別であるとか、これは自分とは違っているというふうに、
差異を把握したり、何かがいつもと違っていることを違和感として、とらえるセンスが大きいということです。
キャッチできるエネルギーの量や深さで、そこがきまるわけではないです。
※ちなみに、私のような霊媒体質の人は、エネルギーをキャッチする力は大きくても、自分がそれと「同調する」という方向にいくので、振動がそちらと揃ってしまい、違和感が出にくいですから、あまり体感覚が強くなりません。。。
霊媒体質とまではいかなくても、すぐにエネルギーと同調、共鳴をしてしまうタイプの人は、体感覚で把握する力は、あまり強くはないものです。
人が放つエネルギーの違いを感じている。
他人が背後にきていることは「自分とのエネルギーの違い」を体感するのでしょうし、立ち去った直後であることがわかるのは「人がその場にいない落ち着いた空間と、ついさっきまで人の動きがあった空間との違い」が、エネルギーの体感になるのでしょうね。
こうした違いを感じわけるセンスは、
動きをもたずに止まっている「物」にはあまり働かず、
動きをとる「人」のほうが、差異が大きいのでわかりやすいようです。
人を意識しすぎることには気をつけよう。
体感覚のセンサーは、動きがあるものを把握するほうが得意なので、ともすれば「人に対する反応ばかりが起こる」ことになります。
そうなると、他人という存在全般に意識しすぎになって構えてしまったり、混乱して人づきあいそのものを遠ざけてしまうケースも、感じるセンスが高い人にはよくみられる傾向です。
センサーの特性として、人への反応ばかりが起こりやすいのは普通といえば普通なのですけれど、しかし自分ではそのことを客観視できませんからね、
反応が起こるのは、「その人が自分と合わないからではないか」とか「何か悪いことでも起こるのだろうか」と深読みしすぎて、不安になったり、疲れてしまったりするのです。
ですが、実際には、ただ違いがあるだけだけで、それ以上でも以下でもないケースがほとんどですから大丈夫ですね。
体感覚が強くない人は、頭でなんとなく思った「もしも、こうなったら・・・」という不安に対して、「でも考え過ぎかもしれないな」と打ち消して、気にしないで流すことは簡単とはいわないけれど切り換えることできると思います。
しかし、体感覚を伴って感じる人は、「既に体感の反応が起こっている」ことに対して、「考え過ぎかな」「気にしすぎかな」と、打ち消して流すのは、
あったことを、なかったことにするくらいの難しさがあります。
この場合は、反応を、なかったことにする、のではなく、
反応したことは「お互いの違いを感じとっただけで、それ以上に悪くとらえることはない」と「解釈を置き換えていく」のがいいでしょうね。
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