やりたいことがあるのに、なかなか行動できないのは「自分ひとりだとモチベーションが保ちにくい」という理由が大きい気がします。
他人と一緒に行動するなら、相手の存在が刺激となるけれど、達成したい目標が「自分ひとりの動きで進めていくもの」の場合、指示してくれる人もいないし、他人の目も気にならないので、「後でやろう」「いつでもいい」とスタートを先延ばしにしてしまうものですよね。
それで、セッションを何回かご利用いただいている方の中で、やりたいことに向けたスタートや継続が簡単ではなさそうなときは、私も種類が似ている目標をその場でつくり「私も○○にとりくみますから、あなたも××にとりくんでください」とお互いに課題を設けていくようにしています。
そうすると、相手の存在がお互いに刺激となるのと、来月までにこのことをやっておこう的な期限をきった考え方になるので、行動のスイッチが入りやすくなります。
こうすると、私自身も、自分ひとりならなかなか動き出さないのに笑、強制的に?いろいろチャレンジできるので刺激があって助かりますね(^o^)!
ご相談者さまの中に、「体重を減らしたい」という方がいまして、私自身も「コロナ太り」で3キロ!も増えてしまっていたところだったので、一緒にダイエットをスタートさせることにして、一か月で目標の半分を達成して、51・5になりました。ここで「順調に減りそうだ。楽勝!」と気持ちが緩んだのか、そこからまったく数字が動かなくなってしまいました。。。(>_<)
ここからは、私がとっても苦手とする有酸素運動をしないと減らない気がしています。一般的には筋トレがきつくてやりたくない!という人が多いと思いますが、私は逆で、筋トレは好きなのです。きつくても、ひとつひとつの動作は短時間なので、せっかちな私には合っています。しかし、有酸素運動は、数十分も同じことをし続けるのがどうも苦手でつい手抜きをしてしまうところです。が、気合を入れなおして頑張りたいと思います。
コメント
ウォーキングならアンクルウェイト(足の重り)を付けて歩く、などすると負荷と刺激で気分も少し違いますよ。服によっては隠せますし。
リカコ様は情報や工夫にはお強そう(少なくとも疎くは無さそう)な印象なので、既に色々試されているかもですが;
ダイエットもサイクルがあって結構他事にも応用出来そうだなと思っています。
スピリチュアル系と付くブログでは分野が違うからか、実際に運動経過成果の話を目にする事って殆ど無いので、ちょっと楽しみにしていたりします(*^^*)
Nwさま
私は6年くらいスポーツクラブに通っているので、運動は基本的にそちらの施設内で行っています。また5年くらい前にはパーソナルトレーナーにもついていて専門家の指導でトレーニングを受けていますので、食事管理、体重の落とし方、トレーニングの仕方は、プロの方の指導をもとにした知識で行っています。トレーナーについたのは、怪我をしたときのリハビリ替わりの延長だったのですが。体重を「49キロ以下にはしない」というのも、そのときのトレーナーさんが決めた数値を守っています。これらの情報は、古いブログやメルマガ内でよく書いていたことなので、つい私も、このブログをご覧になる方が普通に知っているつもりで結果だけを書いてしまいました(^-^;。
運よく実力あるトレーナーさんにつくことができ、私にあっているトレーニングと食事管理の仕方はわかっているので、(わかっていても、サボってしまってできないことも多いのですが笑)、引き続きとりくんでいきたいと思っています。
ワタシも入れてください。来年までに体重を減らしたいです。
ムームーさま
ご参加?ありがとうございます(^o^)!では、目標数値をこちらに記載いただくか、または、次回のセッションのときにでもお知らせください。期限を決めてとりくむのは行動につながりやすいのでとてもいいですね。
トレーナーさんについて貰うなんて、私には絶対無理だな…
って思った瞬間に、今日の記事の「自分を否定しているキラーフレーズ」に当てはまりました!
私はずーっと自己流でダイエットをしています。高校生の頃から今の52歳では28キロ減でしょうか。
皆は普通に子どもの頃から細くて
好きな様に楽しそうに生きている
どうして私はこんなんなんだろう…と思いながら大人になりました。
子どもの頃にからかわれて
笑われた記憶は、どんなに痩せても払拭しきれないものなんでしょうか…?
話は戻りますがこのコロナ渦で
ウォーキングは手軽で良いですよ、
筋肉や姿勢を意識して歩けば効果はあります。
私が立証します 笑
佐和子さま
私は、怪我のリハビリの延長としてスポーツクラブにいくようになりました。それがなければ、わざわざ「お金を払ってまで運動なんて」という人生を送っていたような気がします。ですが、今は、運動習慣がついたことがとてもよかったと思うので、怪我をしたことにも「意義があった」と思えるようになりました。何がきっかけとなるかはわからないもので、何事も「自分の受け止め方と活かし方次第」で変わるということでしょうね。