カルマによって「自分の思考にバイアスが掛かる」ことも案外多い。

カルマの法則とは「自分がした行いが、自分に返ってくる」という真理の法則です。スピリチュアルの基本原則のひとつで、この世で経験することはすべてこのしくみに沿って繰り広げられていきます。

カルマとは「行い」をあらわす言葉なので、本来は良い悪いという区分けはありません。自分の思い、発言、行動として放ったすべてのエネルギーが、何らかの結果や現象として返ってくるということです。

しかし一般的に、カルマという言葉で(わざわざその言葉をチョイスして)現象を説明するときとは「悪い意味のほう」で使われることが多いですから、今回はこちらのみに焦点をあてて説明していきたいと思います。

池の白い睡蓮

「他人に迷惑をかけたら、自分も迷惑をかけられた」
「他人の手柄をとったら、自分も同じ目にあってしまった」

一般的に、カルマの法則が「悪いほう」で働くとは、自分がやらかした出来事と同じことが、自分にも降りかかってきてしまうことをイメージすると思います。

しかし出来事が出来事として返ってくるケースばかりではなく、「バイアスの掛かった思考パターンが刻まれてしまう」というケースも多々あります。

「何に対しても、否定から入ってしまう」
「ものごとを真っすぐに受けとめられず、ナナメに偏ってしまう」

このように、素直な思考ができない(状態が続いてしまう)という、カルマのあらわれもあり、よさげな情報にふれたとしても、バイアスの掛かった思考で解釈すれば価値がきちんと受けとめらなくなります。

その思考に基づき行動すればそこにもバイアスが掛かります。あらわれる結果も当然そうなっていきます。……というループになってしまいます。

思考にバイアスが掛かると、その先の、行動、結果、というところにも「歪み」がずっと派生してしまうんですね。でもそのことになかなか気づけません(というカルマです)。

カルマのあらわれは、わかりやすい出来事ばかりではなくこういうケースもあります。こちらは上級編になりますけれど、自分の思考と行動の「いつものパターン」をときどき見つめなおしてみるといいでしょう。

コメント

  1. りょう より:

    いつも拝見しております‍♂️ありがとうございます。なかなか、分かりかねる部分もあったのですが、、、こういう解釈は正しいのでしょうか?

    例えば、
    「過去にだれかに嘘をついた」ということが、カルマとなって「人というものは、嘘をつくものだ」という思考が自分に刻まれ、それが当てはまらない相手に対しても疑心的に対応してしまう。
    こんなことも、この「思考にバイアスがかかる」ということに当てはまるのでしょうか?

    すみません、解釈が間違っていましたら教えていただけたらと‍♂️

    • リカコ リカコ より:

      りょう様
      わからない部分が出てしまったのは、「例え」がつりあっていないからだと思います。その例だと原因と結果をくらべたときに、あまりに結果(思考パターンが続いてしまう)が重すぎるので、むすびつきがわかりにくいのかと。原因と結果の両方を「つづき」で考えてみるとわかりやすいと思いますよ。たとえば「意見を言うべきなのに言わない」状態を長く続けてしまうことにより、そのうち「自分は意見を言えない人だと思い込んでしまう(ので言いたいのに言えない)」「言わないほうが謙虚で素晴らしいと思い込んでしまう(正当化)」みたいにバイアスが掛かりつづける、というふうに揃えて考えてみた場合はいかがでしょう?これだとわかりますか?