自分が、種をまいたことを、刈り取る姿勢になっているか。

スピリチュアルなしくみとして、自分がしたことが自分に返る、自分がしたことは種まきとなって自分のフィールドに実っていく「カルマの法則」があります。

この法則によりものごとは展開していきますから、人のためにした行いもすべていつか何かの形で、自分に返ってくるようになっています。

しかし、そのしくみがどうも自分にはあてはまらず、いつも忙しくいろんな「人のための行い」をしているのに、その返りとなるものが巡ってこないという不満を持つ方もいるはずです。

種は、十分にまいているなら、収穫をしていないだけ。

自分はいつも人のために動いてばかり、いろんなことを期待されて、求めに応じて差し出して、こんなにも人のために頑張っているのに、なぜか自分のフィールドに実りらしきものは見られないという場合は、以下を考えてみてください。

しくみだけを簡潔にいうなら、こういうタイプの方は「種をいっぱいまいている」のです。しかし「収穫作業をしていない」のですよね。だから実りがめぐってきません。

別の誰かが刈り取って「はい、これはあなたの分」と、わかりやすく手渡してくれるパターンばかりではないので、自発的な収穫が必要なケースもあるということです。

実っていても(刈り取りが必要という意識になっていないために)手にできていないだけなのですが、そうと気づかず「こんなにも実りが手にできないなら、自分はまだ種まきがたりないのだろうか?」と、さらに種まきを……となってしまうと、してあげる一方のループになります。

そうなっていることに気づいたら種まきは一休みして、収穫作業に意識をむけていくといいでしょう。

収穫作業の、2つの方法。

これは大きくわけると2種類あり、自分の得意なほうをやることが大事です。好きなほう、ではありませんよ。ここは間違えないようにしましょう。得意なほうを選びます。

この場合の「得意」とは「その方法で実りを得やすいほう」をさします。

2種類とは「誰かにもらうこと」と「自分からとりにいくこと」です。

(1)もらうこと

もらうという形で実りを得やすいタイプの人がいます。それなのに、上記のように、自分ばかりしているという不満が起こりやすいとしたら「してもらうことに条件をつけすぎている」可能性があります。

こういうものが返ってきてほしいのに、そうじゃないものは違うからと、自分が受け取っていないのだと気づくことが大事です。

(2)とりにいくこと

受け身でいるとものごとが動かず、実りが手元にやってこないタイプの人がいます。そうした性質を持っている人は「自分から、とりにいく動きをする」ことが必要です。自発的な行動をすることで、受けとっていける状況がつくられます。

得られるものを、得ようとする姿勢に。

このように「もらうタイプなのに、条件を付けすぎて受けとれない」、または「取りにいくことが必要なのに、もらえるのをまってしまうとものごとが動かないから受けとれない」という、自分がさえぎる動きをしてしまっている場合は結構あります。

この世においてのスピリチュアルな仕組みである「カルマの法則」では、自分がしたことは自分に返ってくるのですから、相手が悪い(すべきことを、してくれない)から返ってこない、ということではないのです。

素直に自分が得られるものを得ていく。受けとっていけるものを受けとっていくという姿勢になることが大事です。その前提で、自分の姿勢や動き方を見直すと、何かしらの気づくことがあるかもしれません。

種まきは一休みして、収穫についての思考と行動を優先してみてください。

コメント

  1. ゆくり より:

    私も昔から、絶えず人の思惑を察知し先回りしてその人の為に何かをする事が日常でした。そして疲れ果て、周りはその事に気がつかない感謝しない…と感じていました。

    その内面では人の為に動く事で自分の価値がやっと見出されると誤解をしていたのかな…と。相手に何かをしてもらう事は気を遣わせている!と更に気遣いをして深みに…
    振り返ってみると、自分の受け取り下手に気付かされました。

    相手の好意を素直に受け止められず、ブログに書かれている「もらう事に条件をつけていた」のだと思います。

    いまは少しずつ改善され、もらう事に抵抗感がなくなりつつあります。

    そしてもう一つ、自分の勝手な解釈で相手の為に行動するのも、一呼吸置いて考えるようになりました。相手が望んでもいない種まきではなく、自分が心から差し出す種まき(歪みのない心持ち)こそ望ましいエネルギーの交流であり、実りを得て収穫をありがたく受け取れるのでは?と感じています。

    • リカコ リカコ より:

      ゆくり様
      相手のために察してあげられる気がきくタイプの人は、それだけ思考にしても感性にしても細かくて複雑なところを理解できるということで、自分の内的な思考なども、裏の裏の裏とか、先の先の先とかを深く考えることが出来すぎるので、受けとることが難しくなるんですよね(^-^; 素直に…と頭では思っていても、なんか抵抗感や罪悪感がでてきたりもしますし。

      受けとるときに、相手から与えられるものが「自分が望んでいるのと違う」ことは多々ありますが、それは『自分の勝手な解釈で相手の為に行動する』ことと、おあいこと考えていけばいのかなと思います。それでちょうどつりあっているのだと。お互いに最適なものだけを与えたり受け取ったりはできないので、ときには的を外しているものも含まれる前提でとらえると楽でいられますよね(^_^)/