本質は認め、受け入れる。状態は、よりよい変化をさせていく。

自分自身や、自分の生き方に、努力や工夫をしてよりよいものにしていく姿勢は素晴らしいことです。

けれど、何でも変えられるわけではないという理解の上で、行うことが大切だと思います。ここを混ぜてしまうと、無理なことを頑張ろうとして、必要なことへの努力を軽んじてしまうことがありますから、改めて整理してみたいと思います。

考え方や、行動の仕方の中にも、先天的な性質がある。

たとえば背が高いとか、髪の毛が茶色であるとかの、身体の特徴は「生まれ持ったもの」で「一生を通じてあまり変わらないもの」という認識を持つのは簡単なのに、

ものの考え方、受け取り方、行動の仕方などの内的な特徴は、なぜか「後天的な頑張りによるもの」という認識になりがちで、「生まれ持ったもので、そう簡単には変えられない」という受け止め方に、ならないことが多いようです。

ですが、こうしたものの中にも、たましいの性質として、生まれた時点である程度決まっているものもあります。

楽観的に考えてしまうとか、つい裏ばかり読んでしまうとか、積極的になれないとか、○○が好きでないとか・・・、それらの全部が当てはまるわけではないけれども、備えて生まれた性質が含まれているという考え方もしてみてください。

それらは、簡単に変えられるものではないし、ましてや努力がたりないとか怠けているとかで、そうなっているわけではないという受け止め方は大事なことだと思います。それは、自分を考える場合にも、相手を考える場合にも。

変化が小さいものと、変化が大きいものがある。

私たち人間は、たましいという「本質」と、この世の時間という動きによる変化=「状態」とが混ざって存在しています。

このうちの、状態の割合が多いことは、努力や工夫で変えられる余地が大きく、本質に近いことほど、変えることは難しくなります。

たとえば、髪の毛を染めて変えることはできますし、長い人生のうちで、成長期などはとくに、色が多少かわったりすることもあるでしょう。そうした「状態」は変わることもありますし、変えることもできます。

しかし、「本質」は、状態のような変化にはなりません。その人の、または、その事柄の備えている範囲の中で、磨かれたり伸びたりすることはありますが。しかし、根本が入れ替わるわけではないので、たとえば、悲観的な考え方の人が、努力によって楽観的に変わるというのはありません。上辺だけそう振る舞うことと、根本がそうであることは、まったく別のことですから。

そしてここからが大事なことなのだけれども。

変えなければとか、成長しなければというのは、「状態」に関して思うのは、向上心が高くてよいのだけれども、「本質」に関しては、そういう考え方はあわないです。

本質は、「受け入れて、認めること」が学びです。

受け入れるというのは、自分にとって「もっとこうだったらいいのにな~」と思うようなことも含めて自分自身なんだという考え方をすることです。

そして、認めるというのは、認識することや自覚すること、つまり、自分が備えているもので使われていないものや気づいていないものは、掘り起こして使うことも含まれます。

●本質を理解すること、そして、いかすこと(変えることはできない)。

●状態は、必要にあわせて変化させていく。

このような理解が大切だと思います。

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