スピリチュアリズムとは、こうあるべきというルールではない。

スピリチュアリズムとは、霊的な「しくみ」のことです。霊的な観点からすると、このようになっているという構造を解説しているものです。

この世の事象にたとえるならば、「ずっと夜のままとはならず、時間の経過で朝がくる」ことや、「夏の次は、秋である」ように、

ものごとの成り立ちや構造について、霊的な観点から解説しているのがスピリチュアリズムです。

しくみを知れば、効率よく動いていける。

霊的なしくみは、そのことを自分が意識しようとしまいと、起こっていきますし、作用していきます。まさしく、夜はいつか、朝になっていくように、です。

しかし、「夜はずっとは続かず、いつかは朝になる」と、しくみをわかっていれば、「夜の暗い時間に行動するより、明るい時間に行動するほうが安全だ」というふうに、しくみにあわせた動きができます。

そういう意味で、知っていることは人生を充実させていくと言えます。

けれど、意識しすぎてしまうと、「しくみに動きを合わせることが目的」であるかのような解釈になって、人がこの世にやってきて、たましいの学びをするという目的から軸がずれてしまいますので注意が必要です。

スピリチュアリズムに沿うことが、目的ではない。

スピリチュアリズムに従って、人はこうある「べき」、こうあら「ねばならない」というふうに、人の動きを縛るような解釈になってしまっては、解釈が偏っていることになります。

それは、たとえるなら、「交通ルールを守るために、車にのる」とか、「車に乗ることで、交通ルールを身につけていける」というような、ルールを守るために行動をするような「ねじれ」がある解釈です。

この世での学びの根底に、スピリチュアリズムという真理のしくみが存在することは確かですが、しかし、それが、この世で人として生きる目的のすべてではないですからね。

人生という現実をとおして学ぶことが、理解を深める。

スピリチュアリズムを、突き詰めようとしすぎても、理解しきれない部分はどうしてもでてくきてしまいますから、むしろ、偏ることもあるんですよね。

そこが難しいところですが・・・。

それ単体でとらえてしまうと、スピリチュアリズムありきの解釈になって、そちらの方面ばかりに偏ってしまいますので、現実のほうに向ける意識のバランスもとても大切なことですね。

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