過敏なことには、秀でている部分が含まれている。

過敏という言葉の意味とは、「何らかの刺激に対し、過度に敏感であること」です。

スピリチュアルに関心が高い方は、繊細さや鋭さをもった方が多いので、何かしらの過敏さが思い当たることもまた多いでしょう。

そうした反応が起こってしまう「過敏さがでる事柄」というのは、同時に「得意で秀でたこと」とにも関連しています。

たとえば、ちょっとした情報に触れただけで、そのことから連想が広がっていき、思考が止まらなくなるような方がいます。

ある歌のワンフレーズを耳にしたら、その内容の「花」という単語から、花の種類がいろいろ思い浮かんで、そういえば、友だちは薔薇が好きだったな・・・と、無関係のことが次々にうかんで思考が広がります。

または、ほんのちょっとした「音」にも反応してしまい、他の人にはまったくきにならない程度でも、音に敏感な人にとっては「寝ていても目が覚めてしまう」とか「作業の集中ができなくなって、ドキドキしてしまう」ということが起こってしまう人もいます。

これらを「刺激に、過剰に反応している」ととらえると、短所のように思えてしまいますが、「ちょっとした刺激を、広く深く受けとめている」と言い換えることもできます。

過敏であることは、「その要素が飛び抜けているからこそ起こる反応」です。

ある場面や状況においては短所になることも、別の場面や状況においては長所になる場合も十分に考えられます。

たとえば思考がとまらない人は、斬新なアイデアを作り出すことができるかもしれません。

音に敏感であるなら、人の声やものごとの動作の音から、コンディションの高低が把握できる場合もあるでしょう。

というふうに、過敏なところを「いかすにはどのようにしたらいいか」という視点をもって分析すると、短所だと思っていたことが(場面を変えれば)長所にもなりうることがわかります。

過敏さは、至らないことのあらわれではなく、優れているからこそ「過度の敏感さに、なることができる」のですね。

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